テキスト1990
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ゑCL〈伊勢の皇太神宮は二十年毎に建て変えられ、神様は旧殿から新殿にお遮りになる。(式年遷宮)この古い習俗は日本人の住宅観の一面を如実に反映しているように思われる。住居の恒久性に大して価値を認めていないのではないかという一面である。古都とよばれる京都の町でも、全体の建築物の数の上で、ごく僅かな神社併閣を除いて百年以上を経たものがどれほど残っているのだろう。中京の室町といえば古い通りで、私の家もその一報に建っている。その通りでは最も古い家だがそれでも百年そこそこの年数しか経っていない。ところが百年の歴史を持っている家も今では近くに一、二軒残っているだけで、手狭になった古い商家は惜し気もなく取り壊して、せいぜい四、五十年しか保ちそうにないビルに建て替えられて行く。取り壊された家の中の家具什器類は、最近ようやく僅か乍らその価値を認められるようになったものの、以前は廃品として捨てられていた。実際古い日本の家具は、丈夫一点張りの武骨なものか、繊細で優美な美術的価値の高そうなものは華著すぎて、余程大事に扱わないとすぐ壊れそうなものばかりで、上流階級はそういう物を使い捨てていたのであ住居の恒久性ろ、っ。日本の{香庄は繊細な美しきを持っていたが自然条件の所為もあって恒久性には欠けている。家はいつでも仮の住居の感じが拭いきれないし、家具什器にもその感じがつきまとっているようである。これだけ豊かになった時代にもかかわらず、新聞のチラシには短時日の間に合わせにしかならない家具の宣伝が毎日のように折りこまれている。よく売れるのだろう。何世代もが愛着を感じながら使いこまれて行く品物を並べるドイツやオランダの家具屋を見ていると、日本人は円だけはしこたま持っていながら貧しい国民だな、と考えこんでしまう。作例に花器として使った木製の盆は西ベルリンで買った。材はスペインの杉で、金’んメ鍍ッ金キした金物で縁取りきれている。少し手荒い細工だが花の映りは良い。先月号の西ドイツでいけた花に使ったのもこの花器である。広い水盤型の器なので株分けの盛花にも良さそうである。そこで葉色の若々しい菜の花と、落ちついた渋みを感じさせる暗赤色のパラをとりあわせてみた。左右に分けたパラと菜の花の花型は、ほほ同形で菜の花を大きく、パラを少し小さくいけた。花材菜の花パラ花器木製の盆すまい向8

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