テキスト1989
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すホホ茄4子一つにしても、妙めものか漬近頃、台所は楼子に任せてしまったので、素子と錦小除に出かけることは以前ほど多くない。だが時折、楼子に頼まれて買物に出かけることもあり、気楽な往復の一キロは、丁度息抜きに適した道程でりに並ぶ店は、多少の入れ替わりはあるにしても、それぞれ古くからの専門店で、顔馴染みも多い。そして、必伽から踏の品まで、一軒一軒がその得意とするクラスの品を揃えて店を張っている。γ。。通生りものを活ける物にする中級品を扱う店と、味と共に美しい色艶と整った形の求められる日本料理の煮付けに使、フよ、つな高級品を売る店とは専門を異にしている。生すもの|田畑の収穫ーをいけるということの説明の前に余分な話を書いてしまったが、いけか・飾る岱りものはまず美しくなくてはならない。艶が失せて搬のよりかけた茄子なら飾るよりも、すぐ料理にかかった方がよい。そして生りものを、いけ花にとりこむ場合には、飾ったあと、もつ一度調理して食べられるような使い方をすべきである。リlは残らず私達の胃袋におさまっいけたあと捨てなければならないような使い方をされたのを見ると、大概の人は勿体無いという気持が先立って、そのいけ花を美しいとは感じないで反感を抱く。今月号に使った軒塾、ピーマン、モンキーバナナ、茄子、舞茸、セロてしまった。花材担れをジンジャーアロカシア花器トルコブルーコンポート若い細手の腎基が目についた。茎はくすんだ紫色で渋い配色のいけ花ができそうである。ご存知のように芋茎は里芋の葉柄だが、里芋科の植物の大部分は湿潤な熱帯圏に分布しており、重要な食用作物として里芋や苅ヤんこ頭e〈、花としてはアンスリュlム、出川献島、座禅革、水芭蕉、断苧、観葉植物としては作例に使ったアロカシア、モンステラ、カラジュlムをはじめ多種多様な鉢植が私達の生活を潤おわせてくれていヲ令。一本では色の弱い芋茎も初本近く立て並べてみると、かなり存在感が強まる。柔らかな茎の曲線は先端を内側に向けてふくらみのある形に輪郭をとってから左外へ向く2本をそえて右側に傾いたアロカシアとバランスを〈表紙の花〉とっている。芋茎の茎の色に対しては、あまり鮮明な花色は避け、深紅色のジンジャーをとりあわせ、緑も深みのあるアロカシアを選んだ。渋くおさえた花材の色調をこわさぬよう、花器もくすんだトルコブルーを使ってみた。熱帯地方の自然といったいけ花で花材ピーマン三色風船艶花器茶色陶花瓶風船蔓は北アメリカから日本に渡ってきた。七月頃に花が咲き、八月になると紙風船みたいに実がふくらみはじめ、その中に小きな種ができる。その、っち中の種が固まると糸のような蔓から枯葉色の紙風船が落ちて風に吹かれて地上を転がって行き、頃合いの場所で実がはじけて種が散り、そこで新しい生命が芽生える。ピーマンは辛みのない唐辛子だが、東洋では唐辛子の歴史は案外浅く日世紀にコロンブスがヨーロッパに持帰り、凶世紀には印度を経てマレーま邑聞から中国へ。日本には一五九二年、秀吉の朝鮮出兵の時に種子が持ち帰られた。唐辛子の中には観賞用に鉢植されたものもあるが、大きくて色の鮮や〈2頁の花〉アロカシアかなピーマンが最も美しい。そして丁寧に育てられたものは傷もなく艶々している。このピーマンを刺した台は、輪切りにした木の幹に真直な枝を立て、その枝に竹串を挿しこんだものである。そこにピカピカした三色のピーマンをつけるだけで華やかな装飾になるので後の投入は、風船蔓を主材にした緑の濃淡でまとめ、花器の色は目立たないが形の変ったものを用した八3頁左上の花〉この作例は、2頁の作例からアロカシアを抜いて風船蔓の小枝に挿しかえてみたものである。こうしてみると、茶色のO型の花瓶に挿した風船蔓の淡緑は、やや単調で深みが感じられない。そこにはやはりアロカシアの濃緑があってこそ軽い風船蔓の存在感が強調されるよ、つである。今月号のタイトルを、島りものを悟ける、としてみたが、花屋でなく八百屋で売られている野菜類の中には調理にとりかかる前に暫らく眺めていたいようなものが多い。それらの野菜を主材に花をそえてみたのだが、こうしてみると八百屋の店先にころがされていたときよりも水々しく色も冴え、平生あまり見つめることもなく口に入れていたものの美しきを改めて見直すことにもなる。γ。。3

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