テキスト1989
94/141

がまずみにわとこトごじかずさんヲ@。記対一一科に属するがこの科には、秋さえむしかりの語源を調べてみると、「虫喰われ」の転読した名前だそうで、虫喰葉が多いところから来てい口から赤い小粒の実の岱るものが多い。英一迷、接骨木、瓢uaA,K箪A末I〈、弓鴬〈‘神ずか楽〈、ιzく肝末、珊瑚樹、むしかり等の各属の植物で、葉が落ちてから、何の実なのかわからないで使っていることもある。京都でも八月の終りになると、北山の奥でこの系統の木の実が色付きはじめるが、すぐその場で名称を云い当てられないことが多い。この角瓶に、むしかりと白菊をいけたのは和則である。とりあわせは二種だけの簡単な投入だが、枝捌きの稽古として、枝数を多くしてみた。このようなとりあわせの場合、枝を長くとって自然調にいけるか、赤い実のついた枝を短かく切ってマッス状にかため、白菊とのシンプルな配色を主にした二通のいけ方が考えられる。和則は前者をえらんだ訳だが、枝が各方向に過不足なくのびて、又白菊も短かくならず形よくまとまった。花材むしかり花器実物花材白菊黄土色陶角瓶黒板壁の酒蔵の続いた、灘から芦屋への海岸は、昔の面影の偲ぴょうもなく変ってしまった。その頃夏休みは八月一日からだった。七月に入ると週の半分ぐらいは学校から十分と離れていない浜で授業なのか、生徒を遊ばせてるのかわからないような水泳の時間だった。男の子は晒木綿の樺、女の子は一律に黒の水着だった。海岸が近かったので泳げない子は少なかったが、誰かに教えてもらった訳でもないので、一年生の頃は大半が犬搭き泳ぎだった。今では犬掻きなど知っている子供はいないだろうが、時折テレビで、どこかの島で猿が泳いでいるところが映されているが、あれそっくりな泳ぎ方である。先生の管理も杜撰なもので、達も要領よく勝手に泳ぎまわっていたが別に事故もおこらなかった。皆独りでに泳げるようになって、紅白の終業式の前日には、六年生だとクラスの半分以上が遠泳、といってもせいぜい1キロほどのものだが参加させてもらえた。先生が和船の上でドlン・ドンと鳴らす太鼓に合わせて平泳ぎでゆっくり進む。そして明日は終業式。あさってからは何をして遊ぽ、っと底盈…しの解放感に包まれた日の想い出がふと心を過AFMどった。子供の夏子供10

元のページ  ../index.html#94

このブックを見る