テキスト1989
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,〉A7Jトリヌ’念ふφ勺者z’pb勺「名物」とは普通、θその土地の有名な産物、名産。。由緒ある茶道具。②ある地域や社会で風変りや、独特な個性をもっ評判の人や物、と昨書には−記されており、一般に知れ渡った有名な物のことであろところが名物学と学の宇がつくと少し意味が違ってくる。古木正児先生の名物学序説によれば、「名物学というのは、物の名と実物を対照して−調べる、歴史とか文学とか色々な書物に出てくる禽獣草木、その他の物の名前と、実物がどういうものであるか、ということがわからなくては意味や情景を理解したことにはならない。名物学というのは昔も必要であったが、今もなお必要である」と云っておられるが、名物学とは日常生活に密着した常識であり、その常識の正確さを求めることであるとも云えるのではないかと回む、っ名物という言葉は非常に古い言葉で、紀元前十世紀頃の中国の「臥叫んU」|周の官制を記した書物ーに出てくる。そして、そのうちの一例として出廷め淋理大(肱川)の項には、庖人掌共六畜六獣六禽。主ハ名物と規定色れている。料理人仇使用仁る材料には、それぞれ特有の形や色彩、或は使い方があり、それに従ってつけられた名称があるので、この職にある者は、それを正確に知っていなければならないということである。物の名称、それを知るということは簡単なことではない。ウロ覚、ぇ、間違って覚えることもある。その上時代と地域の違いで物の名称は区々なので、いつの間にか誤用していることも多い。だからこそ国土が広大で、文化の古い中国では三千年も四千年もの昔から閣僚をはじめ、各官職にある者の必須知識として名物学が要求されたのであろう。私達現代人は、その時代よりずっと複雑で多面性を持った社会の中で色々と自分を使い分けて行かなければならない。或る一面は職業としての専門知識が必要であるが、そこには名物学的要素も多分に含まれる。そして専門的知識というものは職業の分野だけに必要なものでなく、趣味の世界でも大切に育てられるべきものとなりつつある。ここで趣味という言葉を使ったが趣味と云う言葉には、生きて行く上で、なくても別に差支えないが、持てれば持った方が良い、ぐらいにしか考えられていなかった。生活にゆとりのなかった時代には致し方なかったことであろう。だが現在の日本の社会では、余程生き方の下手な人でない限り多少のゆとりは持っている筈である。仕事を離れて得られるゆとりの使い道を趣味というのだろうが、現在では仕事よりも趣味の方で生きていることの実感を得ることの方が多いのではないだろうか。或はそういう社会になりつつあるのではないだろうか。趣味という言葉はそのような社会ではもっと違った言葉で表現されるべきであろう。ゆとりの生かしようも考えなければ単にあり合わせの物事への消費に終ってしまうことになりかねない。自動車は二点聞を移動するための道具であり、高級車は移動に際して快適な空間を提供するに過ぎない。本当に自動車が好きなら、ヨットの好きな人が自分で設計し、時には建造も手がけるよ、フに独創的な自動車を造るべきであろう。そこではじめてゆとりが生き甲斐になって行くのではないだろうか。だが何かを自分で造ってみるということになると色々な知識が必要である。何事につけても知らないより、知っていることの方が良いにきまっている。伽動り、という云い方には多少軽視されるよ、つな響きがあるが、それは知識が実際の役に立てられない人を指している。いけ花という一つの趣味、それは花道という表現で深みをまして行くが、まず花の正しい名称を知ることから、その花の生態を知り、私達の生活との歴史上のかかわりを知ることによっていけられた花に対する思い入れも豊かになる。それ故にこそ、昔からの良い花伝書には、その時代に得られる限りの花の知識が必ず詳しく書かれているのだろう。花の種類がふえ過ぎた現在、少しは勉強しないと、自分が何をいけているのか分からなくなりそうなのである。この花瓶は二十年程昔、父が松江で買ってきたものである。とりたてて上等なものではないかもしれないが、初夏には毎年蔵から出して使っている。細目の花瓶なので太いものはいけられないが、胴のふくらみにあわせて作例のような草花をたっぷり挿すことができる。鉄線は栽培用にとりつけられた支柱をはずして自然な感じになびかせ、重なり合、つ葉を整理する。近年殆どが栽培品種になった百合類の中で、笹百合だけは山でとれる天然産の花である。だんだん少なくなって値上がりしてきているが、季節には必ず一度はいけたい貴重な花材である。〈表紙の花〉染付の花瓶。〈名〈2頁上の花〉花材鉄線(三色)花器朝顔文細口花瓶紫色というと、私は何となく植物的な色いろあ相ー、のように感じる。生物の中でも動物、とくに哨乳類の中には紫色らしい紫色の生き物はいない。人類から鳥、魚、虫と縁遠くなると少し紫色の生物が出はじめ、植物界で始めて普通の色として紫の花が咲く。晴乳類である人類にとって植物界の紫は神秘な色なのかもしれない。そじて高僧に許される紫衣にはそんな気持が隠れているのだろう。花としていける場合、他系統の色をまじ、えす、紫の濃淡だけで配色を考えることが多いが、それは静かな境地を求めようとするからであろ花器2頁下の花〉煙り草には作例のよ、つな赤系の品種もある。レッドジンジャーと色もあうので私好みの作例としてみた。花材肱り草ジンジャー花器ガラス鉢花色としての紫笹百合ヲデズヲ3 アトアラノレリノ〈コウス桔さムタ梗1・|ギのガコンンアポウ|ムト、4ノ。花材守物

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