テキスト1989
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かおかた島もうろく毛婚と麗姫とは、絶世の美人として名高い。だがこの二人の美女が近付くと、池の魚はその姿に恐れて水深く沈み、木にとまる鳥は驚いて空に飛び立ち、鹿の群は肝をつぶして一目散に駆け出すであろう。してみれば、美とは人間に対してのみあるものであり相対的なものでしかないことがわかる。これは荘子の一節を意訳したものである。当時どんな顔容、そしてどんな姿の人が美しいとされていたのか私にはわからないが、古代の中国美人の顔立は下ぶくれで、体付きは、まるかおだ%から記つまるとしていたのではないかと思う。そんな容姿の女性の美しきも、鹿や魚には通じなかったが、それは現代の女性の求めるプロポーションともかけはなれた美しきである。現代女性の理想とするらしい体型のプロポーションは、アメリカ、とくにハリウッドで作り出されたものらしいが、いつの間にか、その理想体型が男性にも及ぴはじめ、近頃のアメリカのビジネス社会で肥満男性は、自己管理が欠除しているという理由で出世に差支えるそつである。ところがアメリカでも一昔前、四世紀の終りからつい最近まで、大実業家の資格として体型は次のように考えられていた。パクスタは、ハンド(実業家)が二度目の朝食をとっている装飾的なダイニング・テーブルの椅子に坐った(そのテーブルはあるフランス王が使っていたものだ)。ハンドは、日に七回食事をする。ときには吐き気を催すほど食べることもあり、自分でもうんざりしていた。しかし、ちゃんとした人間に大衆が求めることの中には、ウオールストリートの成功者のよ、つに肥え、サスペンダーの中身もでっぷりすべし、ということがあるのだ。ハンドは神経質な性質なので、尊敬の目を向けられる最小限度の太鼓腹を保つのがやっとのことだった。これはある推理小説の一節で、時代た%背景は、セオドア・ルーズベルトの活躍した初世紀初頭の話である。そう云えば私の祖父も一九三0年代、そこそこの実業家らしく見える太鼓腹の貫禄を求めて、滑稽な努力を重ねていたのを思い出す。だがこれも一種の自己管理なのだとすれば微動ましい話である。美人の標準の変遷はさておき、人聞が自分の体型を管理するということは健康な生活を送っているかどうかの目安として、或程度は必要なことであろ、っ。肥満ということで思い浮かぶのは、太平洋戦争が終局に近付く噴から敗戦後の数年間、現在のような肥満児を全く見かけなかった。必要量以下の食料で体力を酷使していた時代で肥りょうもなかった。だが現在私達は欲しい物にも情報にも恵まれ過ぎる飽食の時代である。こういう時代には、余程気をつけて暮らさないと精神的にも肉体的にも具合の悪い状態を自分で作り出す予」とになってしまう。私達の周囲は低級な情報、というよりも宣伝で、質のよい知識の吸収がさまたげられ、愚鈍と怠惰への大きな入口があけられている。豊かだが恐しい時代である。こういう所に落ちこんでしまったのを気付かずにいるのを悪質な肥満というべきだろう。よく働く人、そして賢明な人の肥った姿は人を温かく包みこむような人間味が溢れている。よく食べ、よく働き、そして良質な知識を蓄わえれば、痩せた人も肥えた人も美しい。そして信頼して付き合える人間である。もし時間に多少の余裕ができて、のんびりした所へ旅行し、気の向くままに好きなものを食べて一週間程過ごしてこようというとき、妻が小鳥の餌みたいなものしか食べようとせず、疲れるだけだからと、日頃是非見ておきたいと思っていた美術館にはついて来てくれずに旅先のブティックしか興味を示きないなら、そんな女性はご免こうむりたい。反対に旅先でもジヨツギングを欠かさず、話題といえば仕事の話だけしかなく、それもなくなればテレビの連続ドラマを見ているうちに眠り1νいのでふめる。こんでしまうようでは、どんなにスマートで、しかも出世コ!スを駈け登っているらしい夫でも、妻たる者やり切れない淋しきを感じるに相違なし。美女の標準から太鼓腹の社会的価値、それから豊かきの効用と下手なヨ憲聞のようになってしまったが、豊かきというものは、自分自身が余程しっかりした価値基準を築き上げておかないと危険なものである。昔は働きぬいて、ほっと一息吐く頃には余命は幾許もなく、触れることもあり得ず、又その効用を考える暇もない一生だった。そして隠居という形で老後を楽しめる人はごく一部の人で、もし長生き出来ても働くだけ働き、働けなくなった時にはすることもなく、ただ差碍してお終いだったのである。若い聞から豊かきに固まれ、働かなくてもすむ年代になる長い一生は働きぬいて送る一生より生き方が難そのような現代では趣味が大きな意味を持ちはじめる。例えばいけ花を始めたなら、年月をかけて上達を求めるべきである。そして少しでも良い花をいけようと努力する過程で自分の心が何を求めているのか考えるようになる。それがいけ花に趣味を求めた価値であり、自分自身の生への価値を見出すきっかけになればと常々考えている。豊かさに体重イじ生丹ヰ土5

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