テキスト1989
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主みがえぞた九月中旬、旅立つ頃、東ドイツの市民がハンガリーを通って西ドイツに続々と脱出し始めたというニュースが連日各紙のトップ記事になってい今年の予定は西ベルリンから東ベルリンに入り、いベルリンの壁の向う側を覗いてから西ドイツに引き返し、レタリングハウゼンでのいけ花セミナーをすませて、オーストリアの主都ウィーン経由でドナウ川を下ってハンガリーの主都ブダペストに行くことになっていた。予定を立てた段階では、東欧諸国の政情がこうも変るとは思いもよらなかった。ウィーンからハンガリーに入る前日、ハンガリーの共産党は杜会党と党名を変、えた。今この原稿多量一日いている十一月中旬には、明日にも東ベルリンを象徴するように立っているプランデンブルグ門に面した壁がとりこわされるかもしれないという。だが私がプランデンブルグ門を眺めた十月一日には写真をとることさえ禁じられていたのである。今にも政変が起こりそうな東ベルリンのホテルに泊るのは中止して、観光パスで東べルリンに行くことにした。スパイ小説や映画でおなじみの東ベルリンへの検問所ーチェックポイント・チヤ|リーも通った。聞かされていた通り検問は厳重である。パスポートを念入りに一人一人調べた上にパスの座席票まで検査悪名高円するので四、五十分とめられる。帰りはもっと念入りでパスポートの顔に間違いないか眼鏡をはずさせられる人も居た。パスの準体の下まで鋭でしらべ、ムロに上がって屋根まで点検している。東ベルリンに入ると、まずはっきりとさびれた感じを受ける。豊か過ぎる西ベルリンからチェックポイント・チヤ|リーを過ぎると居心地の良い暖かな部屋から秋風に砂挨りの舞う戸外に立たされたような気分に襲われる。だが街の建物は立派である。今でこそさびれてはいるが、昔ドイツが世界に誇ったウンタ|デンリンデン通りが、近い将来東西両ドイツが協してその繁栄をとり戻せば、ロンドンやパリと肩を並べる首都として力強く匙るに相違ない。ドイツは強い国である。国土を二分されながら西ドイツは現在の国力を築き上げた。もし国家が再統一されたら羨しいほど豊かな国になるだろう。ベルリンで感じたことを書きはじめたら切りがないが、セミナーを開いた西ドイツのレタリングハウゼンは、地方の小都市である。だか街の中のしっかりした建物は何代もの人々が堅実に住み続けて来た落着きのある作いである。セミナーの出席者はω人。昨年も受講した人が三分のこも居るので旧交を温めながら、私が立花と生花、素子が自由花を担当、助手の和則と準備の日を入れて一週間滞在した。このセミナーでは五ヶ国の人々がいけ花のために集まって、期間中同じホテルに泊り、三食を共にする。そのため言葉ではうまく話せないことを、お互に全身で感じとり合うようになる。そこから生まれる親愛感はかなり深いものである。そして夕食後雑談に私のいけ花観を話したり、ヨーロッパの人々の刷物に対する考えを聞かせてもらったりする。又今回は、レクリングハウゼンの銀行で行った四日間、ω瓶のいけ花展、その初日の夕刻からの立花のデモンストレーションには山氏が五百人出席し、主催した銀行も予想外の盛況に鴛いていた。宜岳具①②レクリングハウゼンのセントペ|タl寺院の前で花をいける素子③ブダペスト・ヒルトンホテルの部屋にいけた花。花器はへレンド焼。窓の外はドナウ川の岸にそびえる漁夫の砦。明け方のブダペスト⑪⑤ドナウ川を背景に岸辺の雑草とガーベラ。風がすごく強かった。④ 東ベルリンからブタペストへ③ ① ② 8 OST BERLIN BUDAPEST

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