テキスト1989
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よ,J菊色花器縁紬深鉢江戸時代初期、流祖冨春軒は枝菊を使って変化に富んだ菊一色の立花を立てているが、江戸時代の後期になると各流の菊の生花が流麗で複雑な茎の線を描きはじめる。又花井園芸が一つの頂点を作り出した時代として、多種多様な菊が登場している。現在普通に切り花として手に入る菊は真直な茎の上に行儀よく水平に花が咲かされている。だが江戸時代でも花屋の菊は現在の真直なものが多かったのだろうか、絵として記録に残しておこうとする程の花道家は、自分で曲のある菊を育てていたのだろう。そしてそんな菊を自分の家で栽培するだけの余裕を趣味人として持っていたのだろそんなことを考えながらいけた菊の生花だが、真、真囲、見越、内副等上段は貰菊。副、胴には淡紅色の菊。留側は自の小菊をとりあわせた一瓶である。良い品種の菊が出揃う季節に一度は菊の多色いけを稽古の中にとりいれたい。行ヲそIJ7

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