テキスト1989
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は今グロリオーサが日本に入ってきたのは明治の末だそうだが、切花として売り出されたのは初年ぐらい前からのことではなかったかと思う。その頃は作例に使った品種よりも少し、オレンジ色がかった黄花種で変った花だが、現在売られている深い緋色のグロリオーサほど迫力のある花色ではなかった。先代は、この花のことを自分勝手に印度百合とよんでいたが、たしかにそんな感じのする百合科の花である。その後急速に普及して、稽古にも使える花になったが、強い表情の花ではありながら、蘭やアンスリュlムのように松、梅、桜等の日本の枝物花材ともよくあ、つ花である。箸黍は秋口から出はじめるが、最初のうちは未だ水々しい淡緑色で色は美しいが穂は柔らかくて、作例のような完熟した穂のようにしっかりした形にはいけられない。又枯色になった頃には、濃色のパラやダリアその他、色の鮮やかな洋花とのうつりが良い。作例ではおの下に赤いグロリオーサを沈めるようにおさえ、その上に黄色のグロリオーサをかぶせるようにいけてみた。花材箸aeSび黍グロリオーサ(黄・赤)花器陶花瓶11

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