テキスト1988
91/144

仙浅たたG−さ人ざしETI)の方は、日本の古典いけ花半月あまり留守をしていた書斎で夜通し仕事を続けていると、いつの間に夜明けが近付いたのか、まだ暗いうちから障子の外で小鳥が嚇りはじめている。久しぶりに、その声に聞き入っていると、慌ただしくかけまわった、いけ花の旅も終り、いつもの暮らしに戻ったのだな、とほっとした気分で薄明かりの庭を眺めて一息入れる。たてこんだ日程をやりくりして、家族皆で旅立ったのは六月六目だっお招きをつけたのは、ヨーロッパいけ花教授者協会と、デュッセルドルフ市の双方からである。G・デビッドソン夫人の主宰するヨーロッパいけばな教授者協会(Aを中心に五日間にわたるセミナーの講師として招聴したいという申入れと、デュッセルドルフ市からは、市の生誕七百年の記念行事の一つに、デュッセルドルフに在留する日本人会との共催で、日本文化紹介の一端として、いけ花を選んだので来てほしいとい、つことだった。いけ花の旅といっても、訪問先の都市で私達のいけ花を見せて講演する程度のことなら大して苦にもならないのだが、立花、生花、盛花、投入の実技指導のセミナーを五日間、しかも全員泊りこみで、というのはいけ花の合宿ともいえる相等ハlドなスケジュールである。家族全員それを承知の上で出かけたのだが、やはり家族揃つての海外への旅立ちというのはいいものである。そして今回のいけ花の旅では、きものを着ることが多いので、美容院を経営しておられる藤原慶陽さんに同行をお願いした。着物と教材で一杯のトランクを提げてデュッセルドルフ空港で、デビッドソン夫人と、森口陽子きんの出迎えを受けたのが七日の午前八時。皆でホテルに直行し、急いで髭を剃り、朝食をとりながらスケジュールを確認し令つ。朝食後すぐに、翌日開所式の行われるZENに出かけた。デュッセルドルフは、ヨーロッパにおける日本企業の根拠地であると云われているが、大企業や銀行のビルが市中の至るところで目につく。ところでZENとはドイツ語の、の略称で、自然の中でくつろぐセンターという意味だそうで、市の南部の広大な公固め一画を占めている。このZENというセンターは、空港に迎えに来て下さった森口陽子さんの後援と尽力によって、デュッセルドルフ市の生誕七百年記念事業の一つとして日独の文化の交流の場として設立されたのである。そのような目的のセンターなので日本文化の中でも、とくに自然とのWESEqsgコロロmcEZEは日本人の花に対する心情を日々の結びつきの深いいけ花でオープンしたいということで開所式に招かれたのである。翌日の開所式のいけ花の、王材はZそうなので、副材を探しに市内で一流と云われる花屋に出かけたが、日本の同程度の花屋とくらべると花の種類は半分もなさそつである。こんな店で、ドイツ人はどんな花の買い方をするのかと見ていると、日本のように、パラを三本、トルコ桔梗を二本に太閣を日本という買い方でなく、適当にとりあわせられた花束の見本を参考に自分の予定している値段にあわせた花束を作らせて買って帰るようだが、男性客が日本より多く、三人に一人は仕事帰りのオジさん達であるところが嬉しい。翌日の開所式にはパーティの最中全員着物姿で出席し、六人並んで花をいけたが、着物の古典的な花模様暮らしの中に実に見事に表現したもので、外国人にいけ花を言葉で説明するよりも、いける姿で感じとってもらう方が、いけ花の理解に役立つのではないかとさえ思ったほどである。パーティーの席で花をいけながら私や素子の使った花材はそこの垣根の枝、和則の生花は前の池の黄菖清だと説明すると、自分達の周囲にも使い方によってはこんなに美しい植ENの周囲の樹木や草花で間に合い物があるのだということに大きな関心をよせたらしい。そして私は、西欧人の気付かなかった植物の美しきの一面を、長い年月をかけて表現する方法を作り上げてくれた昔の花道家にあらためて感謝したい。翌朝(九日)は早朝からオランダで聞かれるセミナーのための花材をデュッセルドルフの花市場へ仕入れに出かけた。前日の花屋でも良い花が少ないと思っていたが花市場でもびっくりするような花は見当らない。とくに蘭やアンスリュlムは日本の花市場の方が格段に品質もよく種類も多い。だがそれでも叩年か日年ぐらい前から市内に花屋がふえ、品数も随分多くなったそうである。だがこの花市場で主力商品になっているオランダの花は、産地から二・三時間で届くので新鮮な上に値段は安い。市内の花屋でも日本の三分の一から半値ぐらいで売られている。ドイツに着いてから晴天続きだった。朝刊時にデュッセルドルフを発ってオランダのケルクラlデに着くまでの2時間は見渡すかぎり、緑の紙椴を敷きつめたような麦畑の中をケルンから真直ぐ西へ走る。時々通過する町の家々の窓が美しい。セミナーの行われるケルクラlデは、西ドイツと境を接したオランダ最南端の町である。会場のロルダック館はロ世紀に建てられた僧院で、その一部がリゾートホテルになっている。到着後昼食をすませて近くのヴィッテム城で枝物花材を切らせてもらって夕方から翌日の講義に必要な立花を一瓶立てはじめた。花材集めからいけ上がりまで、立花の全過程を見る機会は滅多にないというので全員夜中の一時まで席を立つ人もなく、完成したとき大拍手をいただいた。ヴイツテム城で切ってきた山査子の枝を真にしたこの立花は、翌日の早朝じっくりと見つめなおしてみたが、私としてはかなり上出来の一瓶ではなかったかと思っている。セミナーは私が樫子を助手に立花、和則が生花、素子がはなと藤原きんを助手にして盛花、投入と三クラスに分けてはじめたが、教授者協会のメンバーは皆相当年季が入っているので教える内容の理解が早い。午前三時間、午後三時間、夕方からは翌日の準備といういそがしい毎目だったが、五日間受講者と寝食を共にしながら一緒に花をいけ続けていると、予期していた以上に私達のいけ花の内容が豊かに受けいれられたよ、つである。よく働き、よく食べたいけ花の旅だったが、皆それぞれが勉強の種を持ち帰るという有意義な旅だっヨーロッパいけばなの旅9

元のページ  ../index.html#91

このブックを見る