テキスト1988
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リンユlタンリンユlタンラオヒエヌハ方すごヲ令。この人のエッセイ佐木に「大晦日の記Lという一章がある。すご私は未だに昭和日年に出版された「生活の発見」という本を時々読み返している。林語堂という中国人の著書で、アメリカのハーバード大学とドイツのライプチッヒ大学で学位をとっている。「生活の発見」では自分の物の見方、考え方を叙情哲学とよんでいるが、ユーモアをちりばめた親しみゃすい文章で自分の哲学を叙出してい超近代的な林語堂は、科学的和e,A,侍Lから旧暦(中国では旧暦で正月を祝う所が今でも多いそうである)の正月を祝うのは佑釈にかかわることだと頭では考えている。ところが旧暦の十二月八日、臓八粥(蓮の実と龍眼肉の入った年末行事の榔)が出る頃から気持がぐらつきはじめ、大晦日になる頃には上機嫌であれ予」れとお正月の用意を指図している自分に気付き、頭と心の争いで、心の方が優位に立っていたことに満足している。そして近所で鳴りはじめた爆竹の音に負けてはなるものかと、下男にお金を渡し「これで鞭胞を買ってこい。一等凄い音のする一等大きなやつだぞ。いいか、大きくて凄い音がするほどいいのだぜ/」かくて爆竹のすさまじい音の真只中で、盛大な大晦日の開館がはじまるのである。何百年、何千年と続けてめぐりあってきた新年の行事というものは、私達の心に深く季節のけじめとしてきざみこまれている。古代から元旦は農作業の起点となる大切な日であり、信仰の上からも、そして一年の計画を立てなければならない厳粛な目だったのである。人々の生活が豊かになるにつれて楽しみの日となって行くが、家族が寄りそって、その年の幸せを祈り合う気持に変りはない。季節の行事は、私達が生きているマ令。キl宿やホテルの味気ない料理でおことの喜びをしみじみと感じる大きな手がかりの一つである。子供の頃の、ただ与えられるだけの喜びから、その行事の準備を手伝えるようになったときの誇らしき、その頃から子供達も家族の間での心遣いにも目立った生長を見せはじめそして親となってはじめて与えることのできる有難きを知る。私は旅行会社の宣伝にのって、ス正月を迎えたくないし、ハワイで泳ぎたいとも思わない。家族で作るお正月を家で迎えることを固く心に決めこんでいる。新年頒ハ垂柳真立花日本いけば、な芸術九州展家元出品作3

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