テキスト1988
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ヴ令。先代は「私は書くことが好きで、今月でこのテキストも三OO号になる。私がこのテキストを引き継いだのは二O六号からなので、三OO号までの三分のこは先代、三分の一は私が書き上げたことになる。号で、その年の七月に私は家族四人でニューカレドニアで夏休みを過ごしていた。月末に帰国すると食道癌で一時小康状態を保っていた先代が再入院し家に八月号の原稿が残されていた。八割ほどできており、その整理と不足分を書き足すことで私のテキスト作りがはじまった。原稿用紙にもの歩量目くことなど小学校の作文の時間以来全くといっていいほどなかった私に困った仕事ができたわけである。自信のないまま今月号まで百号近くを作り上げてきたのだが、最初は三月以上続けられるとは思ってもいなかった。私の知識の内容は底の浅いものであり、まとまりを欠いている。その上自分のごくたまにつけた日記を読み返してみても何会量国こうとしていたのかわからないような文章であその上それを印刷に出し、活字にな二O六号は先代の最後の年の八月アキスト測号仙渓だLと私に話していた。ったものを見るのが大きな喜びなのだからテキスト作りは勿論のこと、容を拡大したいところだが、そうなそれまでに出版した書物はすべてにわたって人まかせにせず、自分の思、っ通りの大ききに絵や写真を割り付け、文章の入るスペースの字数を勘定し、納得の行くレイアウトができてからよ、つやく原稿を書きはじめていた。隅々まで自作のテキストだったのである。こんな手聞のかかるテキストを引き継ぐのは誰だって臨時するに違いない。だが書きはじめてみると自分の対船舶ないけ花観にまとまりをつけ、花型や技術についての間違いや矛盾した記憶を整理し、植物に関する知識を貯め干」むことに面白きを感じるようになってきたのである。多分先代は天国のどこかで私が思う壷にはまったことに手を拍って笑っているに違いない。人に自分の考えを伝えるのは難しい。まして印刷物で花のいけ方を説明しきれるものではない。それでも桑原専慶流のいけ花はこんな考え方を基Lとにしていけられているのだということぐらいは理解していただけるのではないかと思っている。幸いなことに、テキスト作りに興味を感じるようになり、次第に抱負もふくらんできたのだが、自分にできる範囲で永続きせよ、っとするなら、現在の頁数が原稿書きに費せる時聞の上でも精一杯というところだろう。理想としては婦人雑誌並みに内れば、私自身と読者の皆さんとの気持の交流という、先代から受けついだこのテキストの存在の意味は余程優秀な編集スタッフを揃えない限りうすれ去って行くだろう。現在は私と素子の二人で作っている。月に一度一緒に花屋に出かけ、その日入荷した花の中から各月の特色を出せるものをえらび、午後4時頃から手分けしていけはじめ、午後七時頃から写真担当の小西さんの撮影がはじまる。大体午前二時頃までにとり終るが後片付けがすむ頃は明け方になる。翌日の夕方写真が届くのですぐに割付けにかかる。割付けてから原稿書きに三日ぐらいかかるが、机の前で一言半句も思いつかず、ぼんやり一一・三時間過ぎてしまうことがよくある。校正はずっと素子にやってもらっているが、誤字の訂正だけでなく、意味の通りにくい文章を指摘して読みやすいように助言してくれている。この八年間、二人の手作りで続けてきたのだが、読者の皆さんのご協力でカラl頁も作れるようになった。お蔭で私達のいけ花写真のストックもふえ、多くのことに役立っている。続ける自信のないままに引き継いだ仕事だったが必要に迫られてとり入れた知識の断片も、すと確実に自分の財産となり、その数がふえると何となく心丈夫である。子供の時分から小心な恥ずかしがり屋で、学芸会でクラス全員で歌うコーラスにも何とか出ないですめばと思っていた私が、人前で長い話ができるようになった。中年を過ぎてからの思いがけない収穫である。これからもいけ続けて行くいけ花そして、その裏付をまとめて記すテキストは私にとって益々大切な仕事の一部となっメきたようである。活字にして残3

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