テキスト1988
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F今ノdI主残り枝を生かして使、フよ、つに工夫するのはいい勉強にもなるが、又一而楽しいものでもある。一本の枝から、自分の恕い描いている姿をとり出すためには不要な枝を切りとらなければならない。切りとられた枝は余り校となる。中には良い枝もあるが、大部分は一見形にならないようなものばかりである。だがその形になりそうもないところが大切なので、それを利用してみようとするとき、知らず知らずのうちにはまりこんでいる自分の型を見直すよい機会ともなるのである。又残り屑としか思っていない枝にも、しっかりした生命が宿っており、その以外な美しさを知ることにもなる。上の山梨の生花は、2頁の私の華道京展出品作の残り枝でいけたもので、かなり上等な余り物だと云わなければならない。そんな山梨でも残り物はやはり残り物で、真、副、留にあてはめる枝がそのまま残っているわけではない。何度か枝のくみ合わせを変えながら形をきめ、初分ほどかかっていけ上げた生花である。胡麻竹の花器は自分で作ったものである。花器Anノ士入4A1+→,Aじオ,F・占月山麻梨竹つ岱3

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