テキスト1988
52/144

私が華道京展に出品するよ、つになったのは、第日回展からである。その頃いけ花をはじめたばかりの私に、父は気軽な調子で今年から出品するように云いつけた。いけ花の家元の一員となった以上そんなものかと素直に従って父の指導で下いけにかかった。下いけの段階ではどういければよいのか、わかったつもりで会場に出かけたのだが一坪の花席に要する花材は相当な量である。どの枝をどこに挿せばよかったのか思い出せるものではない。何とか持って行った花材全部を父と一緒に作ったセメント製の大花器に文字通り投げ入れて帰ってきた。翌朝父が見に来てくれたが、どう酷評されるか小さくなっていたところ、至極あっさり、「うん、これでいいのや」と云ってくれた。今でもその憐れないけ花の姿を時々思い出しているが、その経験から私は、どんな大きないけ花展のいけこみにも余裕をもって信着いていけることができるようになったのではないかと思っている。花道家として花をいける喜びを知ったのである。今年の山梨とホルの生花は、流内からの三人の出品者の花が大体まとまったあと、会場の床に坐りこんで和則に手伝わせながら、のんびりといけたものである。華道京展2

元のページ  ../index.html#52

このブックを見る