テキスト1988
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の蘭を使って出生の姿を正確に写しとらなければならないというのではあまりにも窮屈である。いけ花展への出品作、或は葉の入手しやすいシンビジュlム等は別として、少々略した生花として作例のように他の植物の葉をそえてまとめてみるのもいいだろう。一昔、というより二、三十年前までは、稲を刈りとったあとの水田の裏作として麦が植えられていた。その時代、山には末だ雪が残り、寒風の吹きわたる早春の畑の中を頬被りしたお百姓きんが手を後に組んで、刊でほどに伸びた麦を横歩きしながら踏みつけている姿が見られた。麦踏みというが、冬の聞に霜や雪で土がゆるみ根が浮いたのをおさえるための農作業だが、麦作りが珍らしくなった現在ほとんど見かけることのなくなった早春の風物である。いけ花に使われる麦は踏まれた形跡もなく、のびのびと育っている。葉先まで青々と形の整ったもの日本をえらび、真、副、胴の各主枝の長きをきめてから残りをそえて行く。菜の花を留側にそえる時、麦が動かないよう静かに挿す。デンファレ(子計汗戸川μ)は茎が細く柔かいので挿し直したりすると切口が裂けるので一度で形をきめる。〈表紙の生花〉||麦・蘭〈2頁の生花〉〈3頁の投入〉花材麦菜の花デンファレフィロテンドロン花器染付横長水盤生花の家元講座では、一月間同じ花材で研修を続けている。そして私の作った作例図をもとに解説しながら見本をいけて行くが、大抵の花は毎回作例図にほぼ近い形になる。ところが木瓜だけは同じ形にいけ上がったことがない。各固とも全く異った花型になってしまうのである。同じ仲間の桜や梅は、そのつもりでかかれば何度でも似通った花型にいけることができるのだが、それは型にはまりこんでしまうという危険を意味している。反対に木瓜の場合、枝ぶりの意外性に心を奪われると生花の型から逸脱して、その均衡を失ってしまうことになる。賑かに朱色の花の聞いた木瓜の花に対し、根締めとして留、控に茶色みがかったシプリペジュームの渋みでおきえ、緑のモンステラでうるおいを与えてみた。(4頁に解説図)花材木酌シプリペジュlムモンス−ア一フ花器青色彩花瓶黒い花瓶に、純白の雪柳と、濃紅||也市於||雪柳4頁に図解)(3

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