テキスト1988
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白百合と南天オランダからやってきた白百合と、洛北の農家の庭で育った南天のとりあわせである。白百合はオランダからやってきたというより、久々に日本に帰ってきた百合というべきだろう。15世紀、大航海時代を迎えたヨーロッバには世界各地、とくにアメリ力とアフリカから多くの植物が探検家によって持ち帰られ、又植物学者達もこれに加わるようになった。これらの人々をプラントハンターというか植物探索家というより、植物の狩人といった方かいいぐらい大かかりに未知の草木をヨーロッパに送りこんでいる。日本の植物をヨーロッパに伝えたのは17世紀末、長崎出島のオランダ商館にやってきた医師ケンペル、80年後のテュンベリーは「日本植物誌」を著し、我国の百合の多くを紹介している。19世紀になって鬼百合、次いで山百合が初めてヨーロッパ人の目にふれたとき驚異的な美しさと世界の園芸界を仰天させたそうだが、その日本の百合の街配か、この「フローレ」とよばれるオランダから送られてきた白百合なのである。長い間の異国暮らしに、その表情は一見変ったように見えるが、里帰りして南天ととりあわせてみると、やはり日本の花である。花器褐色釉変形花瓶11

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