テキスト1988
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先日放映されたNHK「京を支える女たち」では、素子も私も「京女」について、録画の際話したことは5分のlぐらいに縮められていたが、その中で素子は自分のことを内弁慶だと話していた。なるほどその通りだと云えそ、フである。だが内弁慶というより夫に対して自分の意志の伝え方が非常に巧みである、と云った方がいいだろう。強引な主張になるときもあるが、いつの間にか乗せられていることが多い。夫の方でもそれに気付くのだが、妻の気持を尊重して上手にのせられているようなところも感じられる。京都の町の経済は長い年月絹織物、染色、陶芸などの他色々な工芸品、で支えられてきた。このような工芸品は良いものほど大量生産が無理で家業としての熟練度の高さを必要とした。結婚まで家業を内側からじっと見つめているうちに仕事の進め方、商売の仕組み、人との応対、家計の持ち方について自分なりの抱負と自信がついてくるのは当然のことであろ復興された京都の町の営みを安定させ、持続させるためには「京女しの生活体験によって内側から支えられ『京女』そして『京男』続けてきたと云っていいだろう。伝承きれた技術に熟練の度を高めながら家業の品を生産して行かなければならない「京男」は、やや内向的で商売は大して上手になれそつにない。ただ良いものを作ろうとする意志だけは強く、良いものさえ作ることができれば自分一代の責任を果たせると考えている人が多い。「京女」にも同じ志向がある。勿論ある程度の経済的欲望はあるものの、「うちの品物も落ちたなあ」と感じざるを得ないようなことになるのが最も辛いことであるらしい。先代は良い花さえいけ続けていれば、それだけで流儀は繁栄するものと固く信じていたが、実は内側からの支えでそれが成り立っていたのであろう(以下次号)、「ノ。応仁の乱の後、「京男」によって10

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