テキスト1988
13/144

母とは長い間ラグビーを見続けてきた。三オ頃のおぼろげな追憶のうち、ゲームが終って帰る道の、冬空の真赤な夕日の色だけは今でもはっきり目に浮かぶ。父はOBになってからも長い間ラグビーを続けていた。幼い私は父の出場するゲームに母と三人で出かけるのはこの上ない喜びだった。途中で落ち合った父の仲間に固まれて母も楽しそうである。私も父の後輩達がボールで遊んでくれるので楽しい。ゲームの最中は母がグラウンドの父の動きを教えてくれるので何となく誇らしい気持でいたのも憶、えている。ところが終るといつも、祝杯を挙げに行く父と別れ、母と二人だけで冬空の真赤な夕日に照らされながら帰る。その時の淋しきが母との共通の想出として心に深く染みついて離れない。ゲlムがはじまって間もなく、素子喜文京今年の早慶戦は予想では慶応に勝目のないことはわかっていたが、伝統の一戦ということで、両校とも緊張するので、勝敗はどう転ぶかわからないと期待して見ていたところ、が「今年の慶応は駄目ね」と云う。よくわかりもしないのに、と説明を求めると「いけ花でいうと、早稲田の動きにはのぴがあって締麗でしょ。慶応にはそれがないもの」と云う。云われて見れば成程その通りで慶応の動きは切り縮んだ上に携めすぎて折れかかった枝を集めた不出来な生花のよ、つである。あるチlムには流れの美しさがあり、又あるチームには力強きに快いリズムがあり、それが勝敗を決定するというのである。どちらを応援するという見方よりも、選手の動きの美しきを見つめる方がスポーツの見方としては高級なのかもしれない。母子三人、その日見てきたことを夢中になって語りあいながら帰路についた。京都市芸市文化協議夏の号から同誌に連載している私の随筆は、冬の号「食卓論Lを書いてみた。私達日本人が、食卓の楽しきを知るようになったのは戦後のことである。是非豊かに育てたいという主旨を書き綴った。9

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る