テキスト1988
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さるとけいUすさあさヘ秒、合4F釘リうるお表庭の時据の横にいつの間にか、猿取茨(山時来)が芽を出し、五十センチほどのびて、もつ淡紅色の実をつけている。いけた猿取茨の実が落ちたのかな、と素子に聞くと、毎日丹念に庭掃除しているのでそんな筈はない。きっと小鳥が山で啄んだ実を、お腹の中にいれたまま矧んできて、ここへ残して行ったのでしょう、ということである。その猿取茨の右に、千両が植わっている。毎年色付きはじめたか、と思っているうちに一粒残らず小鳥の餌になってしまう。喰べられた実は消化され、だけは消化されずに残って方々に落とされて芽が出はじめる。素子は、私の家の千両の子も、ひょっとすると、どこか左京か伏見で、このテキストを読んで下さっているお宅の庭で育っていてくれるかもしれない、とまだ青い実をみつめながら想像の羽を拡げている。小鳥のお腹の中を通って、動と一緒に地に撤かれた種の発芽率は大変良いそうである。そう聞くと、動物と植物はお互に助けあって、というよりも、利用しあって生きているらしいのだが、利用の仕方は小鳥よりも植物の方が一枚ぷ手と云えそつである。バイオテクノロジー植物の生き方で凄まじいと思うのは、植物と云っても菌類だが、土の中に居る生きた昆虫や蜘昧に寄生し、その栄養を吸いつくして初夏に寄生菌が発芽し、虫の体から茎が出てくる。これらを中国人は「冬虫夏草」とよんで、古来強壮薬としているが、蝉の幼虫や泡吹虫から菌の生じた姿は異様なものである。このような昆虫と植物の間柄とはちがって、巣の中で菌を栽培する蟻がいるそうだが、働きものの蟻らしいほほえましい話である。「冬虫夏草」や、食虫植物は一般的な意味で例外として、動物は植物を直接、或は間接に食べることによって生きている。人間も初期には動植物の採集生活から狩猟、牧畜から農耕を営むようになって始めて安定した生活をおくるようになり、都市ができ人口も増えた。私達の遠い祖先が農耕をその生活にとりいれた頃食べたものの昧はどんなものだったのだろう。その時代までは野山で拾い集めた木の実や、海岸の砂地で目(類を漁り、頓馬な小動物や魚をとって暮していたのである。農耕を知るまでは、そんな生活が自然だったのである。徐々に採集生活から農耕生活に移って行ったのではあろうが、中には昔の採集生活の昧を大切な文化遺産と考え、農業生産(それは当時の近ヲ令。そこで私達の喪失するものは自然代産業)を白眼視する勝曲りも居たかもしれない。だが農業技術は、僅かな踏曲りをおいてけぼりに進歩を続け、今日、動植物の生命を工学としてとらえる時代に到って膨ガな農産物を抱えて生活できるようになった。とはいうものの、満ち足りた豊かな国々の外側には食糧の絶対量を、はるかに下回る程度にしか得られない国もある。農業技術の進歩は、いつの時代にも、世界の総必要量を満たし得ないまま今日に到っている。だがやはり現代の最新農業技術は地球上の人聞が何とか生きて行ける生産手段を開発しなければならない。たとえ、工場法式で生産されたブロイラーであろうと、・化学肥料を与えられてビニールハウスで育った野菜、いっとられたかわからない冷凍魚にも文句は云えなくなりそつであとの共存感である。時の流れのっちに出あ、フ喜びゃ悲しみは、季節と結びついて深く心に刻みこまれて人生の美しきを気付かきせてくれる。世界中の人々が同じ季節、同じ季節感を持っているわけではないが、とくに日本人には大切なのは毎年めぐりあ、つ春夏秋冬である。農業技術(広く食糧生産技術と云うべきだろう)の発展は大切なものだが、味の恵みは極端に貧しくなった。それでも有難いことに大自然は、寒↓暖↓暑↓涼と四季の歩みを守り続けていてくれる。いくつかの季節の自然がやむを得ず失われて行く現在、私達と自然との共存感をつなぎとめてくれる拠り所として、これから先、花は非常に大切な存在になって行くだろう。季節感を捨ててまで必要な食用農産物にはそれを求めるべきではないだろう。実際この豊かな日本でさえ、ずいけていたようだが、それでも気昔ながらの自然食を求め、そのような生産方式をとれば、現在の人口の半分は食べずに生きる方法を身につけなければならない。ところが、その花きえも、バイオテクノロジーの船鼎で季節を失いつつある。花井栽培の先進国オランダから美しく立派な花が随分多く輸入されてきている。日本の鹿の子百合を変種させた大輪の見事な花を初めて手にしたとき、びっくりとは行かないまでも喜んでいけたが、そのうち真冬にそんな百合をいけていても、全く季節の鹿の子百合をいけているのと感興が違うのに気付くようになる。私はこれ迄の一時期、まだ誰も見たことのないような珍しい花をいけ続けていたことがあった。だがそれらの花と、オランダの百合をいけるのとは大分感じが違うのである。よく考えてみると、以前好んでいけた珍しい花は、すべて野生で、その時季、地球上のどこか遠い国で自然に咲いたものだったのである。だからこそ、遠い国の自然を夢見ながら、日本の花をそえる楽しみを感じたのだろう。オランダの温室を想い浮かべながら花をいけてみても心を大きな潤いで満たすことはできなし。江戸時代の花道家は、その頃渡来したと思われる当時の珍花をすかさ候風土の違ヴ日本にその花が根付いてからいけ花に用いたようである。だから、その出生の観察もしっかりできている。もしいけ花に造型性だけを求めるなら、花に季節を問う必要はないのかもしれない。又単に花を装飾資材と考えるなら、珍しくて色彩効果が充分満たし得るだけの物であればよいだろう。古い云い方だが、日月星辰の運行と共に、生あることの実感を花に託して求めようとするなら、共に歩んでくれている花の存在は、これからの世界では益々大切にされなければならない。そしてそこから、より貴い生き方を求めようとするところに、日本で生まれたいけ花の大きな価値が問いかけるのではないかと思っている。勺・中の種7

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