テキスト1988
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hHhHabq,われもこういとす吾亦紅や薄を、花と感じるのは私達日本人だけなのかもしれない。吾亦紅の赤黒い花を、実だと思っている人もあるが、野山では目立たない植物で、薄と共に私達以外の人々にとっては、ただの季節の植物に過ぎないだろう。だがいけてみると、他の美しい色の花の表情を様々に変化させる力の強い花材である。作例ではおとなしい配色でいけてみたが、枚数を減らして寵にも挿してみたい中秋のとりあわせである。花材吾亦紅糸薄花器褐色粕深鉢今回は生花と立花を出品してもらった。前期は阪本慶純さんの実付きのホ瓜の生花。木瓜は生花にとって魅力のある花材だが、この生花は枚ぶりのよさを、をしぼったのがよかった。水際も丁寧にまとめられた上品な生花だった。後期の桑原和則の出品作は、京都の北山で自分で見付けてきた流木を主材に、松、蔓梅擬、総膨等をあしらった立花口流木を水墨画の岩山のように感じきせる一風変った件いを見せていた。郎新進いけばな作家競作展秋風の花すe白菊真流しにとった真に見所秋分、漸くその辺りから静かに季節が落着きはじめたのを感じる。早朝の肌寒きもかえって快く、澄んだ空を眺めよ、っと庭に出る。ヨーロッパの夏は涼しくて過ごしよいが、秋との一皆肌がはっきりせず、間もなく冬になってしまう。先日ヨーロッパでいけ花のセミナーの合間に、通訳をして下さった女性四人と色んな話をしたが、それぞれドイツやオランダでの生活には満足しているそうである。だが、いけ花の話から季節感ということになって、ある一人が、達学校に通っていた頃、六月一日から制服が一斉に夏服に変るでしょう。あの感じだけはたまらなく懐しいわね」と云った。他の三人も、暫らく黙って自分のや緋の夏の薄物に変って行く着物の服勝りや、季節を微妙にとらえる概行と話がひろがった。夏物と冬物をいれ換える必要もなく、ツイードの上着の男と、ノースリーブの女が腕を組みあわせて歩く国では暦の上の季節より自分の皮膚感覚が大切なのだろう。反対に日本では暦の上の季節にあわせて暮らしても、それほど苦になることなく、季節感を楽しも、っとする国である。「私季節感た過。ごしそしたて少袷女あれか時ぜ代らひとを単え想衣い物もの起、ろこそししててい紹−』−5

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