テキスト1988
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古歌と生花の作意ひ菊水花器F4t’ 山山二重いけ白竹二重切筒ヲ令。生花の古書を見ていると、古歌や晩秋、弱まりはじめた陽ざ射しをつけて終りの花を乱れ咲かせている菊に、整然とした勲践の聞から真白な初花が聞きはじめた水仙を上下にとりあわせてみた。それは、秋の末から冬に季節がうつりかわって行く頃、近在の野道で出あうごく平凡な風景の一部分であ物語に出てくる風景に因んで「八つ橋の山凶器」とか、「玉川の萩」という名称のいけ方が諸流儀に伝えられている。「玉川の萩」というのは、源俊頼が滋賀県の野路の玉川に咲く萩を詠んだ「あすも来む野路の玉川萩こえて色なる波に月やどりけりLという古歌の情景を想像の上で、その情景を生花で表現しょっとするものである。もともと自由な発想で生まれた筈の「玉川の萩」も、伝書を尊重しすぎて定型化してしまっているようである。大切なのは、自分で見つけた自然を素直な気持で生花の花型の中で生かしてみることである。幸なことに日本人は匙搬の名も知れない草木をも愛してきだ。その心優しきに確かないけ花の技hぎを加えることが本来の生花の主旨であり、伝書通りにいけて古歌の情趣が生きるものではない。6

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