テキスト1987
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ほとと省、すAU 樹齢を重ねた巨大な老木に、古代梅雨明けの大雨のお蔭で、庭土も充分に潤いを蓄え、しをつけて楓や木僅の若枝には逗しきがみなぎり、葉蘭の新葉や杜鵠が背筋を力強くのばして日毎に生長を重ねている。私の家の庭は土質がよいのか何を植えても割合よく育つのだが、毎日花を切り続けている私のこと一体どう感じているのか時々たずねてみたいような気持になることがある。植物には知覚は勿論のこと意志もあり、東洋人は更にもっと奥深い何物かを想定し、それらを総合して植物の心として、その存在を直感でっかみとっていた。だがその直感力も現代に近付くに従って鈍くなり植物を単なる人聞のための生活資源としか考えないようになるのと平行して、植物の生活機能の解明が発達し、その技術を利用し、生活資源としての植物は年ごとに豊かさを増してきでいる。一方組物との心の交流は直感力の低下とともにその通路は細まり殆ど閉ざされてしまったと云っていい。私達の遠い祖先は、深い照葉樹林の逗しい木の下で、草花と一緒に心豊かに過ごしてきたのではなかろうの日本人はいつも何ごとかを語りかけ、答える老木の声の聞こえる心をいけ花と現代生活真夏の強い陽射屋にもってかえりたくなるが、それ求めているからだという気がする。しまった現代、いけ花はより大切な存在となってきた。hv 私達は外に出て、美しい木や花を第3圃そなえていたにちがいない。それは誰が問いかけても答えてくれる身近で親しい者の声であって、神のお告げというような権威を笠に着たあやしげでインチキ臭いものではなかった筈である。神様というものを思いついたのはもっと後世のことだろう。そのうちしっかりした家に住み、大きな町を作って暮らすようになって益々自然から離れてきたが、それは人類の長い歴史の上からみれば、ごく最近のことであると云ってもい見ると、つい手をのばして自分の部は今でも木や草花との心の温い匙を大古深い森からさまよい出て、もとの古巣からあまりにも遠く離れてストリート‘ギャラリーいけばな展口小都いけばな協会主催7月日日からげ日まで家元は、井上笑栄堂と寺内ビルに出品和則は俵屋に出品祇園祭の宵山に、雅やかな京都の祇園祭りにいける夏の風情をそえるストリートギャラリーいけばな展も三回目を迎え、いつの間にか恒例行事として続いて行きそ、つである。十四日から十六日までの育山には、山町、館町の旧家では通りに面した格子をとりはらい、伝来の扉風を飾って、道行く人々に公開するので祇園祭りは一名扉風祭りとも云われている。私も物見高く、毎年方々の扉風を拝見にまわっているが、東京弁や九州弁の見物客が熱心に、京都の暮らしの奥深きに見入っている。今年は十六日の育山に叩万人近い人出があり、その大半は地方客だったそうである。この祇園祭りに協賛するストリートギャラリーいけばな展も、京都のいけ花人の自主的な協力で、四条通だけでなく、室町通や新町通の隅々まで雅やかな花でうずめつくされれば、日肝風祭りと並んで「いけばな祭り」として全国の人々に親しまれる存在に育つかもしれない。それは中京の山町に住む花道家として私一人の願いかもしれないが、毎春開催される華道京展とならんで、京都いけばな協会の主要年中行事になれば良いのにと思っている。

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