テキスト1987
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ひまわり初旬、きらめく波の上で子供達ははねまわり、大人は舗道の熱気にあてられた体を夕食時のビール一杯で人心地をとりもどす。孟蘭盆でひと休みしているうち、いつの間にか空には秋雲が漂っているのに気付く。三十一日の間に様々な風物に出逢う八月。早朝散歩にでかけると、門口の横に並べた幾鉢かの朝顔に水をやりながら、隣のご主人と今年の花の大きさを話しあってる人もいる。街の一日はもっすぐはじまる。炎天を避けて人影の見えない昼下がりの広い水因。耳には聞こえないが、見渡すかぎり青々とした稲も一本一本が水の下から逗しく養分を吸い上げている。その計り知れない生命力の集積の中に立っていると肱量がするほど強く八月の自然を感じきせられる。町の暑熱が高い山の頂きに、ほんの少しだけでも行きわたると、な草もようやく身をくつろがせて、可愛い花を咲かせる。上の作例は、初夏の鉄線から夏山の深山南天、晩夏の鶏頭と、この一夏を、土の香りのする水盤に織りこんだ自然風ないけ花である。花材鉄線(紫)・鶏頭(紅)花器八月であ小さ保叫献疋土色焼締水盤〈表紙の花〉この作例は写真をとったあと暫く聾庄に飾っておいたが、梅雨明け時のむし暑きも、このいけ花が目に入ると、ほっと一息ついて暫くの間気持のやすらぎを感じる。盛夏のいけ花には、常識として暑さしのぎに、深い緑に包まれた谷川をわたる涼風、池のほとりの木蔭を感じさせるようなとりあわせで、花型も爽やかな流動感をもたせる。一方強い陽ひざ射しに生命力を得て夏の暑さを楽しんでいるように見える花も多い。向日葵はその代表みたいな花だし、炎天に咲くカンナの花を見るのも快いものである。清涼感だけを求めていては暑さに負けてしまう。夏にしかいけられない伸び盛りの生命力の美しきも忘れてはならない。トルコ桔梗は、アメリカのテキサス、ネプラスカの二州に自生する一年草で、プレイリl・ジェンティアン(大草原の相臨)とよばれている総膨仲)の草花である。日本には昭和叩年に移入されたそうだが、テキサス龍臆とでもよべばよいものを、トルコ桔梗という原産地も科名も無視したいい加減な名前がつけられ、それがそのまま通って1レ宇品っている。花材トルコ桔梗アガパンサス花器淡紫色粕コンポート3

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