テキスト1987
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ιたニうが人市今べは司ニつさえザタζ初冬から、寒さにとじこめられる一一月にかけて、採光をおさえた和室に水仙をいけると、六弁の星のような花が、さびた床の聞の壁の前に、ほんのりと浮かんで見える。松の梢を走る風、束の間ぱらつく時雨、(金の湯立目。そんな静かきの中で本を読んでいたのは、もつ四十五年近い昔のことである。こう書くと、聞こえはいいが、当時は全く怠惰な日々を送っていた。その頃のことも、いつか書きとめておきたいとは思っているが、そのよろしくない毎日のうちにも移り変りを見せる京都の四季。子供の頃の京都の冬は、うすら寒い曇り空の町という記憶がこびりついている。はじめて銀閣寺に行ったときも何度か時雨る曇り目だった。寒々した座敷で、「朝の紅顔、タの白骨となlる」と案内の坊さんが節をつけて絵草子の説明をしていた。金閣寺では池に薄氷がはっていて「ナッテン(南天)の床柱」の珍重さを聞かされた。痩せっぽちのくせに薄着だった私にゆ、京都の底冷えはこたえたが、他の季節よりも、冬の方が、なじみ深い想い出を数多く抱えているようである。σ〉東山の麓に住んでいた頃聞いた松風の音の静かさを、今も京都の真中の六角通りの家の中でも感じとっていヴ令。夜半隊配に落ちる水の音、開放庭にやってくる小鳥の噌りに六角堂の鐘の音がいりまじって聞こえてくる頃、書斎の窓をあけて、寒椿の聞をくぐりぬけて来た朝の空気をとりこむ。寒々した茶室をのぞくと、水仙がほの白くにおっている。季節は、様々な暮らしの営みと関連しあって過ぎて行く。初冬の訪れを水仙で感じ、寒椿にそれをたしかめ、京都の自然に包まれて暮らしている喜びを知る。水仙と椿は冬の美しきを身近に代表する花である。花屋の店には、真冬でも百花練乱といっていい程、色とりどりの花が溢れているが、外に出て、雪の中で美しく、清らかに咲いている花を見つけようとしても、椿か水仙しか見当らない。そういう意味で日本の冬には古くから親しみをもって愛されてきたのである。そして椿も水仙も、他の花との色うつりもよく、少々下手にいけても品の良さを失わない、ありがたい冬の花材である。花材水仙淡紅色椿枯松花器天目柑深鉢あイt:.5

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