テキスト1987
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4目H舟H1ノ洗せ馬は」の宿のあたりを描いた秋の柳円HHYAる打柳は町の中、村はずれ、人の流れに沿った街道筋に、もの静かに立って、私達に四季折々の情趣を優しく語りかけてくれる。春、桜の花と並んで芽吹きはじめた柳が暖かな倣即にゆれる。小鳥や蝶も群集ってきそうな長閑な景色が想い浮かぶ。真夏の昼下り、河辺の柳でさえ、きつい日差しに潤いも失せ、葉は力なく枝にまとわりついている。だが、夕立のあと、さっと一吹きした風に雫を払い落とした柳は葉の一枚一枚そして一枝一枝が瑞ムマム々ずしい張りをとりもどす。秋風がたちはじめる頃、それは台風の季節でもある。強風の吹き荒れる日の柳の大木の形相は凄まじい。細い柳条が束になって幹を打ち、葉が飛び散って行く。風がおさまった地面には、折れた校、散った葉が道の片隅に吹きょせられている。その一時が過ぎると、野併が町や村を駆け抜ける。下の浮世絵は、歌川広重の「木曽街道六拾九次之内で、広重の傑作の一つとされている。蔵書の中の挿絵に小さくのせられてじれつど同どかしだれやなぎ槙’L,、,e,、柑と椿二種をとりあわせてみた。ヲ令。半ば散ってしまった葉のつき具合いて、興味を持っていたところ、たまたまスイスのシンドラlコレクションの浮世絵展で、実物を見ることができて、大変婚しかった絵であから、初冬に近い秋の末の夕景忌わしい。月の出を東と見るなら、ゆえゆえとしたかなり強い野の分hsが北から吹きつけているように見える。木曲目路の晩秋は、日が落ちると火の気無しではいられない。この船頭さんの家は、もつ遠くはないのだろうが、どんな温かな列蜘の膳が待っているのだろう、子供は何人いるのだろうと、その暮らしまで気にさせるような画面である。師走にすっかり葉を落とした柳は梢から幾段にも榔帆衡を描きながら細い枝が垂直に垂れ下がる。冬の柳の新都きをとらえた艇絡が京都にも数多く残されている。「雪中柳鷺図L、「雪中柳小禽図」という画題で描かれ、私達のいける柳にも大きな影響を与えている主つである。大枝を手に、ためつ、すかしつ枝どりし、花器に挿して肌きをつけて行くと、いつの間にかどこかで見た絵のような姿に仕上げようとしていることを感じる。表紙には、すっかり落葉した柳に槙柏の老幹には椿がよくあう。白+化ム口椿をそえると少し寒々としそうなので、紅椿と淡紅の椿でほんのりとした暖かみをあたえ、やわらかな柳を静かに挿しそえて、新年の床の間にでもという意図のいけ花である。初冬から一月、二月にかけて、松、椿、水仙等をとりあわせ、冬の件いを物静かにいけた柳もいいが、三月下旬、芽のふくらんできた柳に、奮の聞きかけた桜をそえ、柳の跡葉と、桜の開花を待つのは一層楽しいものである。奮が聞いて行くのは見慣れた喜びかもしれないが、いけた柳の新芽が蹴勲となって、日に日に大きくなって行くのを見ていると驚きに近い気持から、いけ花を知った有難昧をつくづくと感じる。二頁には、溜色の龍に菜の花をいけてみたが、色調に上品きの感じられる小品の佳作である。表紙のいけ花とくらべると随分小柄だが、それでも新春の、初々しいのびやかさが感じられる。〈表紙の花〉花材枝垂柳槙柏情(紅・淡紅)花器古銅花瓶紫檀平卓八二頁の花〉花材菜の花花器塗能歌川広重「木曽街道六拾九次之内洗馬」(ンンせはドラ|コレクンヨン)3

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