テキスト1987
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アイリスは葉の曲線の美しい花材である。そしてそのやわらかな紫色の花の色を、桜の淡紅色とあわせると、鮮かではあるが、落着いた配色なので、寒桜、彼岸桜、そして里桜等の副材としてよく使われている。この作例の場合勿論桜が主材なのだが、アイリスの葉の曲線の交差を見せるようにいけてみた。作例には里桜を使っているが、一般によく使われる、英、桜、彼岸桜、染井吉野等は細い枝からわかれ枝が沢山出ているので、水際をおおいかくす緑葉物が必要である。その点太い枝一本で形をきめられる里桜は、他にそえる花材の水際を整然としておけば必ずしも別に緑葉を挿し加える必要はない。花材里桜アイリス花器素焼黒色火消壷私の級友は揃って老眼鏡をかけ、義歯をはめ、今年還麿を迎えようとしている。丁度私達が学校を九十業し、結婚する頃の父親の年令になったのである。たまに集まると話は霊きないが、話題は当時の父の友人達の話し合っ多芸と一→← コミアイリスヲ令。私は人生としての成功と、仕事、1vい。ていたことと大して変りはないようである。尚孟台阜、実業家、芸術家もいたが、スポーツを通じて得た人生観、友情、文学や美術の話、衣食住について語り合っているのを横で聞きながら育ってきた。それは私にとって大切な財産となるべきものなのだろうが大して身にもつかず、今日に至るまでうか、っかと過ごしてしまったようである。私が今その話題の内容をよく考え、自分のものにできなかったのを残念に思うのは、父の友人達は仕事の一方でもそれぞれの目標に行きついていた上に、豊かな教養に支えられた感受性によって美しきの意味を知りそして味わっていたこと。それにもまして、家族を深く愛し、家族からも敬愛されていたということである。人生として成功していたのであ或は事業上の成功とをはっきり分けて考えている。普通に云、っ成功者とは単に事業上の成功者にすぎない。その中には家庭の幸せに恵まれない人が多数を占めている。仕事の上での成功よりも、人生としての成功の方がずっと難だが人生としての成功の半分は仕事すること、働くことによって成り立っているのである。そこで知りたいのは、人間としての自分の桜の大ききである。小さな器でしかない者が事業で成功しようと思えば周囲の人々と喜びをわかちあうことを止めなければならない。それは事業家に限らず、仕事という意味においては学者にも芸術家にもあてはまることである。その好例が宮本武蔵なのではないだろうか。剣一筋に生きて非凡な殺傷能力会』・身につけることが出来るには出来たが、その一生は、ということになると、私には全く評価のしょうがない。その道一筋に生きるという人生には宮本武蔵のように危険な一面もかくされている。又一芸に秀でるということについて連想するのは、色々な仕事が専門化され、それぞれの分野に驚嘆すべきエキスパートが出現しつつあるそうだが、あまりにも細分化しすぎて、例えば医学においても一つの研究がすぐ近くの他の分野とどう関連付けられるのか見当がつかないこともあるそつである。人聞の能力は常識をはるかに超えたところにまで伸ばすことができるのはよくわかるが、そこで忘れてはならないのは、広く偏らない教養と、人々との温い交りであろう。いけ花も自然の慈しみを感じとる大切な教養の一つである。8

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