テキスト1987
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1i 越前岬の越砂村に野生し、古く平安時代色紙に描かれ、室町時代からいけ花にも使われてきた水仙は、和水仙ともよばれている。だがもともとは、地中海沿岸原産の房咲き水仙が唐時代シルクロードを通って中国にもたらされ、更にその野生化したものが海流によって日本に漂着し、それが根付いて繁殖したのであろうという。越廼村に平安の昔、沖で遭難した船から救い出された一人の美しい娘を求め、村の兄弟が争いをおこし、困りはてた娘が身投げした跡に、翌年美しい花が咲いた。これが越廼村の水仙なのだそうだが、水仙漂着説にふさわしい伝説である。以後永らく日本には他の品種が渡来せず、明治以降輸入されたラッパ水仙等に対し、古くから親しんできた水仙を、実は地中海沿岸原産とは知らず和水仙とよんで、新着の水仙と区別するようになったのだろう。その和水仙の終る頃、同系の房咲き水仙(ラッパ水仙は一茎一花)の大輪種が出てくる。和水仙より一まわり大きく、副花冠が黄色でなく、濃いオレンジ色である。清楚な和水仙のようなひっそりしたいけ方より賑やかに作例のようにいけたい。花材水仙フィロデンドロン花器紫色曇りガラス花瓶山,S山水3

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