テキスト1987
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ヲ令。〈麦・シクラメン〉4頁写真花器印花文水盤三十年ほど昔、暫らくすごした丹沢山の麓の高原は見渡すかぎり一面の麦畑だった。冬の問、寒風にさらされながら、日一日と生長を続けていたのも知らず、その美しきに気付いたのは、穂の出はじめる四月中旬になってからのことである。穂(科)の長いビール麦が風になびくと銀緑色に波うつ。畝の聞に寝ころがると、両側からおおいかぶさる麦の穂の上を春風がわたり、空の青さを一層深く感じる。身近で想出の豊かな花をいけていると、どうしてもその気持がにじみ出てくるよ、つであ広々とした麦畑の青空、そしてやわらかな陽春の日差しを感じきせるピンクのシクラメン。このとりあわせで、そんな暖かみを季節に先立って味わえれば、といけてみた。〈スイートピー・ヒアシンスシクラメンの葉〉花器白磁大皿ヒアシンスは、いけ花の花材として使われるより、花壇に植えられたり、水栽培で咲かせた花を室内にそのまま飾られる色彩豊かな親しみ深い花である。花はあまり高くのびず、小きな花がかたまって咲くので、何色かをまとめて挿し、作例のスイートピーのような、軽やかで或程度長きのある花を流すような調子にそえる。切花として売られているヒアシンスには葉がついていないので、ここではシクラメンの葉を使って水際をととのえている。花器は明るい色のものを使いたい。5頁写真ヲ令。ゑγφ。一体いつ頃から日本の社会で花井園芸が大幕末、日本の開国と同時に来朝したイギリスのプラントハンター(植物採集家)、ロパート・フォlチューンは、その著「江戸と北京」の中で、日本人の花好きをこう伝えてい「馬で郊外の小ぢんまりした住居の農家や小屋の傍を通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植えこんだ小庭を作っている。日本人の国民性の著しい特徴は、下層階級に至るまで、皆生来の花好きであるということだ。気晴らしに始終好きな植物を少し育てて無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人聞の文化生活の高きを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、イギリスの同じ階級の人達に比べると、ずっと優って見える。」と嬉しい讃辞を与えてくれているが、日本の花井園芸という一つの文化は幕末時代すでに社会の最低層にまで普及していたので衆のものにまでなり得たのか、ということについて、植物学者の中尾佐助氏の所説によると、十七世紀の末、元禄時代だそうで、それは西ヨーロッパよりも二百年近く早い年代ということである。花井園芸は日本にも中国文化の盛んに流入された奈良時代に始まるが室町時代になってようやく日本独自の園芸文化が生まれはじめたという。だが蔦葉の昔から他国の人々とは少し異っ花井園芸史といけ花実際に4

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