テキスト1987
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煤すす竹だけ鼎か’牡丹z717/jf J〆花器不つか遣h、誠に立花の道理きも有べきこヲ心。牡丹は古来花の王として、又貴重昔は冬の聞の社丹といえば、春の盛期とくらべてはるかに小きい寒社丹しかなかったが、近頃では、春と同じ大きさの花が沢山出まわっていな花とされてきたので、その扱いには多くの伝承が残されている。立花の初期には、立花時勢粧に−記されているように、「高位高官の御方にて宗匠の外門弟の揺ことをゆるさず、古代は花大切なる故、木を残して茎より切、筒に川、胴に牒て帯、献にとなり、」と記しているが、当時ようやく花井園芸が急速に発展したおかげで、同書には続けて「然ども近代、心(真)、部、副に用ゆるは世上沢山にて時相応なるべしLとして、他流に先がけて、豊富に栽培されるようになった社丹を大きく真に使った立花を立てている。この作例の社丹の生花は、花一輪を副の位置に挿し、真は二股になった牡丹の枯枝を使っている。社丹の生花には、枯枝をそえるのがきまりになっており、それについて多くの説があるが、その一つに木本性の牡丹と、草本性の有薬を、誰が見てもその違いがわかるように、牡丹には枯枝をそえるのだと書いている伝書がある。成程と感じられる面白い伝承である。そして枯枝をそえると形もとりやすくなる。ずある7

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