テキスト1987
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勉強嫌いだった私は、小学校時分一年ほど祖父の家に預けられていたことがある。その頃叔父達は謡曲を習っていて毎週先生が来ていた。先生は毒のような赤鼻で、妙な節回しの唄を二人に教えている。その肌対のような歌詞を真面目な様子で復唱している横に、毎週何の因果か私も座らされるのだが、笑いをこらえる苦痛はたまったものではなかった。そして音楽の試験のとき、こんな節回しで唱ったら最低点しかもらえないだろうと馬鹿にしていた。だが世界のどこに自分の国の音楽のわからない民族があるだろうか。学校で私の、つけた音楽教育とは、こんなものだったのである。邦楽に多少の縁がもてるのは、女の子だけで、それも適齢期になって、お茶や、いけ花を習うついでにお琴の手ほどきを、つけるぐらいが関の山である。男の場合もっとひどいもので、生邦楽との縁はうすい。私の友人でも、長唄と清元の区別すらわからないのが大半で、小唄の一つ二つが何とか唄えるのは、相当お茶屋遊びが好きな連中だけなのである。そんな音楽教育しか受けていなくても、そして演奏されている曲目さえわからなくても、三味線の音色の私と邦楽、「ノ。美しさにうっとりすることもあるし、謡曲の節回しに閑しずかな心の深みにひきこまれることがある。私が邦楽に輿味をもちはじめたのは、いけ花をおぼえ、古典的な生花や立花をはじめる主つになってからのことである。父(先代)は子供の頃から謡曲を習い、中年からはじめた狂言を終生続けていた。そして歌を唱うのも好きだったらしく、或年新年会で、シューベルトの普舵樹を唱ってくれたが、ちゃんとしたピアノの伴奏で聞くと全くの謡曲調なのにびっくりしたことがあった。ところがそれから思らくたって、父のいけ花には、謡曲調特有の、少しひねったというのか、小節をきかせると云えばいいのか、譜面にあらわせないような微妙な節回しがあるのに気付いた。とくに古典的な生花や立花にはそのような調子を、それとなく、上手にとりいれられているのがわかったのである。それに気付くと同時に、立花や生花の中での、その微妙なひねりが大切な成立条件であることも知った。だがその微妙なひねりも、きかせ過ぎたり、入れすぎたりすると、下手な浪花節のように、ただきわがしいだけの野卑なものになってしま反対にひねりが加わらないと、ただ単調な謡曲の文句の棒読みにすぎなし。古典いけ花と、邦楽とのかかわりあいを自分自身で実感できたことは、私にとって大きな収穫だった。だがそこで邦楽がわかるようになったわけではない。内容に関する知識は相変らず皆無に近いが、聞いていて以前より親しみを感じるようになり、興味深く聞くことができる。それが大切なことで、邦楽の美しさを知るために、唄えたり、演奏できる主つになる必要はない。邦楽の名手だって、私達のいけ花を完全に理解している訳ではない。現代花と古典いけ花との違いは直感的に区別できるだろうが、生花と立花の相違や、まして流儀による表現の差までわからなくても、良いいけ花に対しては、習っていなくても感動していただけるのである。いけ花展の会場にやって来て、「私には、いけ花の知識がないので、良さがよくわからないのですがLと云う人がある。それは大間違いなのである。知識や理解が美しきを感じきせるのではない。一瓶の立花の献や榔秘にこらされた工夫を正確に読みとることは、いけ花を志す人にとっては大切なことだが、それ以外の人々からは、予備知識なしに、その全体像から受ける感動を素直に美しいと思ってもらえればよいのだと思う。日本の伝統芸について、明治維新以来の歪んだ教育が見直されるようになって来たが、私の子供達も未だに邦楽は、耳に入ることはあっても唄えるものは全くなさそうである。邦楽を知らなくても生活に支障は来たさないだろうが、着物の着方、日本料理の基本的な知識もっすれつつある。着物は特別な日の晴れ着となり、日本料理を料理屋でしか味わえないようになってはきびしいことである。{丞挺で、邦楽を聞きながら、日本料理の食車が固めるようになるのが本来の日本的な豊かきというものであろう。その一部だけでもとりもどしたいのが現在の私の気持である。ゲスト出演放映日2月幻日⑧午後9時放映局京阪神ーはチャンネル再放送2月お日②午後3時界の最高演奏家を選んで続けられている番組で、毎回その日の曲目に関連した話を、山川静夫アナウンサーが、ゲストと対談している。私のゲスト出演日は、等曲の菊原初子さん(人間国宝)、上方唄の舌村そめさんと、上村わか子さん。尺八、高平徳山氏の他に笛の方が一人出演されるそつである。番組のテiマは、「春を奏でる」ということになっており、それに因んだ仙渓の談話と、いけ花をお見せすることになっている。丁度北野神社の梅花祭の季節に当たるので、梅を主材に、立花、生花自由花と三瓶いけて、いけ花の時代的な歴史を追いながら、「春をいける」ことについて話させていただくつもりをしている。いけ花も邦楽も同じ日本人の心情を母胎として生まれたものである。この機会に私もいけ花について考えなければならないことが、随分多いことを改めて感じている。NHK邦楽百選桑原仙NHK教育テレビNHKの邦楽百選は、現代の邦楽一渓3

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