テキスト1987
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黒陶水盤梅擬の生花をいけていると時々想い出す。先代専淫の文章のなかで、『きのうの稽古日隆吉氏かうめもどきの生花をこの花器に活けた。実のはとんど少ない材料であったか、木ぶりも面白く花型も風雅で変化がある。水ぎわを見ると‘この写真の「赤山楓樹」に通じるものがあるので、まことに失礼なから、その足もとだけ拝借して写真にとった。絵としてまことに面白い構図であり…………』ということで水際と水盤だけ写して上部かカットされ九六八年のテキストの十二月号にのせられている。私が生花をはじめて間もない頃でたよりない水際で、こんな生花をいけていたのかと照れくささと‘なっかしさが一緒になって変な気持である。この生花を手直ししてくれながら‘「一乗寺から雲母坂のあたりの農家には割合良い梅擬かあって私の若い頃はよく切らせてもらった」そうで、切花用に栽培された賑かな実付きのものとちがって、古枝に小さな実かまばらについているところか梅擬の風雅さだと教えられた。それ以来父の立花を手伝うとき実付きの多すぎる梅擬は、実を少し落としてから差し出すようになった。晩秋、出はじめた水仙といけあわせるにはやはり静かな梅擬かいい。梅擬水仙花器l11

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