テキスト1986
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いたやか・えでがくあじさ官いレレ寸4URプロ淳H毎日炎天が続くが、躍の板屋楓もいきいきした葉をひろげ、その葉陰で青い専紫陽花が涼しそうに夏をすどしている。大輪の白い鹿の子百合はλ変豪華な感じで、主材として大作にも使える美しい花である。鹿の子百合系の花は、開花の反対側に次に聞く奮がついているので向きをきめにくいが、とりあわせの花材との配置を考え、との作例の場合左前方に流し、茎の開花の側面を見せるようにいけてみた。花材大輪白鹿の子育An板屋楓専紫陽花無色ガラス花瓶ふと、花を切る手をとめて、「物もニ一一口わず、美しく生きている草花K私達の手前勝手な気持でこんなことをしてもいいのだろうか」それは花をいけ続けているうちK誰もが、いつかは感じるためらいである。わかりきった乙とだが、花は私達に切りとられ、いけられるために生をうけたわけではない。だからそれを理由として、花は切らずにただ咲いているのを眺めるだけでいいではないかと、いけ花に否定的な考えをもっている人も少しはいるようである。その考え方は心川慌しいようにもうけとれるが、私は花は切って身近にいけておくべきものだと考えている。とくに都市生活者の家庭から、いけ花をとり去ったなら、心の失調をお乙すのではないかとさえ思っている。緑が身近にあれば何となく落ちつけるという理由は色々考えられるが、その一つとして、私は人間の初先が猿だったからではないかと思っている。猿はど存知のように樹上生活が本来の生態である。木の上が最も安全な場所であり、豊かな生活圏なのである。(次頁につづく)人といけ花10

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