テキスト1986
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きろ〈だ先代専渓から、長い間何かにつけてお世話になった茂山千作先生がなくなられました。二十日の新聞にもでていましたが先生は人間国宝として生涯狂言を演じ続けて乙られました。先生とのど縁は、父専渓が三十年ほど前から千作先生に狂言を習いはじめたころからです。父も習い事には真面目に身をいれる方ですから先生もど熱心にど指導下さったおかげ茂山千作先生ましたが、そのうちでも、いけ花にど協力いただいて昭和四十七年、観世会館で開催した「いけ花と狂言の会」と、昭和四十九年、岡山の後来園で開催した「いけ花と狂言の会」が印象深い千作先生と父の想い山です。上の写真は観世会館で「木六駄」を千作先生と演じさせていただいたときのものです。お二人ともお酒は全然飲めないのに、酒好きな人よりで、舞台に出る機会も多く随分腕も上がっていたようです。そのうち桑原専底流の行事にも度々お山ましいただく機会も多くなりおいしそうに飲んでおられるように見えました。又先生は父に狂言を教えて下さるだけではなく、私達のお仲人もしていただきました。先生御夫妻は京都では理想的な御夫婦として有名です。私達もそれにあやかり、子供達にも、と和則、棲子の結婚Kは、先生の御後嗣の千五郎先生にお仲人を引き・つけていただきました。親子三代何かとお世話になった先生の御冥福を心からお祈り申し上げます。仙渓「蓮KA円わせて立てるものは水草と定まっているのだが、今日の感覚では、盛夏の季節の花として軽やかなすすきなどはととにすがすがしく古典的な蓮の立花を明るい感じで見るという意味で、乙の配合も好ましいものであると思う。」父は、乙の立花のとりあわせを前記のように説明している。お寺の本堂には、金銅造の蓮の立花が必ずといっていいほど飾られている。それを見馴れているせいで、素子私達が、いくら創意を加えた蓮一式の立花を立てても、人々は、何となく抹呑くささを感じるらしい。そ乙で、父は出生にはとだわらな八月の立花いで、このとりあわせを選んだのだと思う。でき上がってみると、思惑どおりの立花だったらしい。盛花や投入では自由な発想で、とりあわせをきめることができるが、古典的な立花や生花では、山生を完全に無視したような奇抜なとりあわせはさけたい。とりあわせの自由さが型の崩壊につながりかねないからである。そして絵画や彫刻の古典は現物が残っているので、そのまま観賞する乙とができる。だが、いけ花には花型図しか残っていない。したがって、いけ花に現代的な創造性とともに、古典的な花型を再現してみせるだけの技巧も求められているのである。7

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