テキスト1986
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せたものは一点もなく、枝雫柳、海業、社若の古い生花園が一作あるだけなのは、前頁に掲げた小学生でも知っている有名な和歌があるのに不思議なことである。それは柳を冬の花材と限定し、多くの伝書に霜月(日月)一日から三月三日までいけてよしとされ、その習慣が徹底したせいかもしれないが、今回の出品作の様にいけてから日ましにふくらむ柳の新芽と、次第に咲きはじめる桜の花を見まもっていると春の柳の美しきを毎年いけてみたいと感じるようになった。この立花はいけ花展のテ!?であるエロスを愛と解釈し、それにあたる古くから私達が使ってきたいつくしみ、いとほしみという気持が表現できないかと考えながら立てたものである。古典的な立花や生花には植物に対する永年の深い洞察や経験によって裏打ちされたくずすことのできないように見える型の構成と草木の扱い方が蓄積されている。だが花型は時代によって変化し、又出生に対する観察も人によって異同がある。それがどういう理由なのか、そこをよく考えてみることに言いしれぬ面白みをこの頃感じている。(巾四米)花材枝垂柳苔桜二種染付方形砂鉢花器松牡丹(正真)7

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