テキスト1986
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花器アマリリスと蝋梅のあっさりした盛花。大きく厚手な花と、小さく可憐な花の対照はとりあわせの基本の一つであり初心者にも扱いよい。アマリリスの葉九枚のうち二枚を除いて他は表面を見せて直立させているが向然調に横忙なびかせるより似の而杭が大きくなり、力強さが感じられる。州側栴は木際が乱れないよう挿す位世を充分考慮する。花材アマリリスある方が、かよう会に初めて出席したとき花菖蒲をもってきたのはいいが葉も一緒に買ってくることを知らず先代に叱られたという思い出話をお聞きした。いけ花ではアマリリスや杜若のように切りとると花と葉が別々になるものでも必ずその花の葉をそえていける乙とが原則になっている。内け然感を大切にする上では当然のことではあるが近頃葉がなくて茎と花だけしか花材として手に入らないものが多い。今月号の花材の中ではポピl、海芋二話料、スイートピー等はその花の葉はつけられていない。向芋の葉は手には入るのだが入ったところでもちが惑く使いものにならない。他にも葉だけがとくにしおれ花と葉蝋梅濃紺紬深鉢やすいもの、形が悪くて使えないものも多いが、それらは主として近年に栽培がはじまった花材のようである。花と茎だけで花材として見なれてしまったので他の調和のとれそうな季節の緑葉をとりあわせて違和感のない美しさに盛花や投入にいけ上げている。ところが乙のような花材を生花に使おうとすると、例えばポはでき上がるが何となく落ちつかない。その辺の微妙な違いを考えてみたい。立花では借り葉といって水仙や杜若に著衰の葉をまじえてはずみをつける乙とがある。役枝の数も多く形も複雑な立花には必要な手法だが、斗一花のような簡素な構成に他の葉を借りてくるとそこだけが目立っておさまり具合が悪くなる。以上の花材を用いる場合、例えば赤芽柳に椿というとりあわせでは副側と留側にはっきりと分けて使い、それぞれに納得の行く山生感を与えている。昔の生花図の嬰粟(ポピl)の一種挿しを見ると葉付きのものが使われており、なるほどとその出生をうかがうことができる。もし葉付きのポピlを真、副、胴に使い、留、控にシクラメンの葉をとりあわせたなら生花としての要件はととのうことになる。それをよくわきまえた上でとりあわせをえらびたい。ピlkシクラメンの葉をそえても形吋しに二種8 ι花

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