テキスト1986
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昨年の一月号に少し大ぶりな柳を派手にいけた生花をのせているが休日十日に使う柳なら乙れぐらいの校数で良いだろう。枝垂柳はいつも言う通り折れやすいので枝どりには念をいれ、見定めた角・皮におさまるよう水際の部分に無理のない枝をえらぷ。花器は筒引のものをえらんでしっかりととめ捌きをつけている間に水際がゆるまないようにしたい。中間原庄の枝垂柳が日木に渡米したのは奈良時代の始め凶だというがそれより以前にやって来た梅と共に万葉集に詠み乙まれている。その凶は外来文化の象徴だったかもしれない枝垂柳も平安時代になると庶民にもなじみの植物になったせいか、見渡せば柳桜を乙きまぜて部ぞ春の錦なりけると和歌のとりあわせが柳と桜にかわってくる。枝垂柳がH本の止活に深く松をおろしたのは乙の時代からだろう。出AV・り絵えに対して日本の世俗の凪物を描く大和絵にも美しい柳の四季が写しとられている。祇国祭に私の町内から出る浄妙山の胴掛けの原州、長芥川等伯筆「宇治川図扉風」に怖かれた柳も力強い生命力を感じさせる名作である。河畔で見る柳、絵の中の柳、季節によって様々な表情を見せる。私達の身近な自然として枝垂柳の姿は適確につかみたいものである。6

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