テキスト1986
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統計でみると、京都市は全国の主要都市のうちで、の購入額は毎年最も大きい。昭和白年を例にとると京都一一、三五六円二七二同大阪三八七円となっている。このうち、東京と京都では、その購入額に三千円以上の聞きがあるところはどういう意味なのだろうか。又、一世帯あたりの年間収入額別に見た花の購入額は、収入額の最高段階である六八五万円の世帯で一O四七九円となっている。だから全国の平均最高収入額の世帯以上に花を買っていることになるわけである。例にあげた七都市のうち、京都は最も自然環境に恵まれている。最も恵まれていないと考えられる東京で花に対する購入意欲が大阪よりも低いというのはどういうことなのだろしの特徴をひき出すことはできないが、京都といけ花の結びつきを皆さんもよく考えていただきたい。京都といけ花束京八、横浜玉、五福岡六、一O、O一ニ四円名古屋九、五神戸八、六二五円旧則。そのうち学校に通う十六年聞のう人生は、近頃八十年ということで一世帯あたりの花ある。新聞や書物、テレビ等でその使い方について、人々の自覚を促すような記事がよくでてくる。それによると、八十年というのは二万九千二百日、七十万八千時間。睡眠、食事等に十時間とられでも、O六円一日に十四時間は自分が自分の意志O三円で自由に使える時聞があることになる。時間数にして四十万八千八百時ち授業を、つけている時間は僅か二万四千時間。二十オから六十オまで、一日八時間、年に二百五十日仕事に使ったとしても、その時間数は八万時間にすぎない。学校と仕事という義務的にとられる時間は、十万四千時間なのである、こう計算してみると、人生七十万八千時間のうち、全く自由に使える時間、それを余暇といってもいいし、遊びの時間と云ってもいい時聞が三十万四千時間あることになる。単純な計算で、個別的には異義はあるにしても、の総計を、十万四千時間と計算しても、何ら非難される理由は見当らなこの数字を生まれた時から知っていれば大抵の人は人生を大きく変えることができたに違いない。学業と、労働の時聞し止に人並にようやくすることがみつか気がついたとき私もすでに人生の四分の三を消費してしまっていた。私も人並に六オで小学校に入った。学校は嫌いだったが、この六年間で私にとって一番大切なことを習うことができた。新聞が読めるようになったことと、足し算、引き算、掛け算、割り算ができるようになったことである。中学校では、好きな本を読んで、’模型飛行機作りで、旧制の五年間をすごしたが、ろくに勉強しなくても人並の成績をとれたので気楽に学校に通っていた。大学を卒業するのに、人の倍以上の年数がかかったが、これは大学の授業の意義を誤解し、教室に出ず勝手に勉強をしていたせいである。大学を出てからは、父の会社に籍をおいていたが、商売というものが一向に理解できず、自分でも説明のしようのない生き方が四十オまで続ったのは、先代がいけ花を教えてくれたおかげなのだが、時すでに四十オだった。だから私の人生は、他の人が、六十才で停年を迎え、八十才までの二十年間を気楽に余生として送るところを、私だけは先に余生を使ってしまったのである。おかげで今から八十までの二十年間働き続けなくてはならないらしい。八十年、「ノ。この統計から単純に京都人の暮ら9

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