テキスト1986
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第二位郵便物詑可桑原専慶流いけばなテキストm号昭和白年9月l日発行(毎月l回l日発行)桑原専慶流家元発行ヲ②。日本にタ・リrrぼアが渡来したのは幕末たんおみなえしかるかや一二OO種も記載されている。花材ダリアダリアがヨーロッパに渡ったのは十八世紀の末頃で、当時スペイン領だったメキシコから、マドリードに種子が送られてきた。始めはその根茎が、ジャガイモのように、食料として期待きれたが、あまりおいしいものではなく、そのうち花の美しきが人目をひくようになった。そして、最初に園芸植物として栽培がはじまったのはフランスで、十九世紀の中ごろには、イギリスのカタログにはその後更に多くの新品種が作り出され、現在までに三万種をこえるそうである。これは、あらゆる問芸植物の中でも最高の品種数だそうであ時代で、て天ん竺社丹とよばれていた。今ではすっかり日本の秋草となじんで、作例のように、刈萱や女郎花ととりあわせている。トルコブルーの花器の縁にダリアの花を低く挿して水際をととのえてから女郎花の花を短く挿すと、が美しく対照しあう。ここに刈萱をそえると、初秋の風を想わせる季節感がただよってくる。(菊科)女郎花(女郎花科)刈萱(稲科)花器トルコブルー手付水盤定価五Oコ円三色ダリア

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