テキスト1986
105/144

しきって季節感をあらわす乙とができるからである。LX花では、杜若の山ルムの盗に加えて、他の水草をとりあわせる乙とによって季節を表現している。立花で杜若一色の場合は、春の杜若を買の扱いとしている。他の草花を一切立てまじえず、大変いけにくいものだが、前置まで杜若を用いる花型である。次に初夏に入って、河骨の花が咲きはじめると、前置に使って季節のうつり変りが感じられるような立て方になるのである。反に入ると、芦や他の水辺の草花をまじえ変化の多い花型となる。四季咲き種の杜若は、春の初花から、秋は十一月頃まで、いっとはなく花を咲かせ、実をむすぷ。実の面白さを見る初夏、晩秋紅葉の残り花は、先枯れした葉の間から鮮かな紫をのぞかせ手。そ乙に枯蓮等がとりあわされて季節感が一層深まる。古典いけ花の面白さは、植物の自然な生態l出生を正しくとらえ、それを花瓶の中に噂つつしとるととを大前提としながら、そ乙に、無理のないフィクションを加えて行くと乙ろにあるのではないかと思っている。その点で、上の和則の杜若の立花は、花型はともかく、約束通り、水草だけでまとめず、白色の小菊をとりあわせたために、フィクションが目立ってしまった。//←〜 7

元のページ  ../index.html#105

このブックを見る