テキスト1985
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つるうめもどきさざんか4J→イ向者十じnTげなげしかとキCおふだおふだじほしんてき庭の蔓梅擬が大きく育って高さ3メートルほどの山茶花のてっぺんまで琵がまといついている。肥料も欠かさずやっているので沢山実をつけそうなものだが今年もみのらない。木で調べてみると蔓栴擬には雌雄異株なので一本だけ植えておいても実はつかないという乙とらしい。七月になるとまだ種皮の緑色の蔓梅擬が山まわりはじめるが夏の問の方が秋に実が赤くはじける頃より品蔓梅擬つるうめもどきがあるように思う。然味のあるとζろがその良さであろう。だからとりあわせも自然味のあにいける乙とが多い。掛花の場合は安定を考えてもう少し小さくいけるのが普通である。そし研十円に使う蔓梅擬はほとんどが山から切り山されてきたものなので自る草花を一極か二種軽くそえるだけでいい。そして詰物なので花器は背の高いものか掛寵かどに軽やかに下垂体作例の斐梅擬は枝ぶりがよかったので少し大きくいけ、葉をそえたがて為朝「円什も二輸におさえた方がおさまりやすいと思う。此頃新しく建った家には掛花のための掛釘がとりつけられている乙とは少ないようだが額を掛けられるような壁面があれば絵の代りに時々掛花をいけておくのもいいものである。作例では長押から青竹をさげ、そとに竹簡をかけているが工夫次第で大きな壁面はどのようにも利用でフ。。A−−午戦国の武将達の間で大切な約定はこの宝印の押された神符の哀に記載し誓約書とされたという。違約すると身の毛もよだつような天罰が下されると信じられていた。以前から興味があったので先日熊野に旅行した際いただいてきた。紙面には神使の烏や宝珠が描かれている。熊野三山といわれる熊野坐神社、熊野速玉神社、熊野那智神社の三社からそれぞれ絵柄の異ったものが発行されているが効力には変りはないのだろう。乙の神符が何故戦国の武将達の心を縛ったのであろうか。熊野は霊地である。そしてその御神体は那智の滝そのものである。熊野に三社が建ち祭神の名前のつく以前、太古の日本人がはじめでとの滝を見たときどんな気持を抱いたのだろう。久しぶりに滝の前に立ってみた。鳥居の後が一番よい場所のようである。両側の杉の古木の奥に天空から滝がおちている。いけ花をやっている私には古立花の森厳さを感じさせられる。又日本の神社のたたずまいの原型を見るような気もする。尊厳さを感じさせる向然は宗教的な気分をよびおこす。私もただ美しい滝を見たというよりも、心の奥底おっかいほうしゅ権けん謀ぞう術じゅ数っすにう明け暮れた識国の武将〉いまにある何か自分で気付かなかったものをゆり起こされたのではないかと見入ったあとお辞儀をしてその場をはなれた。達は現在の私達より日本的な自然崇作の念は強かったであろう。私でさえお辞儀をしなければならないような那智の滝、強いていえば地母神的なものでも感じたのであろうか。どうも那智の滝には頭があがらないなといった気持である。お釈迦様K誓約せず那智の滝に誓約したと乙ろに日本人の心の奥底に根強く残っている向然山中原拝の心情を垣間見る乙とを経験したようである。熊野牛王宝印。先月号でお知らせした立花実技講座は満席となりました。←レUJ1白:足る竹梅よ掛古擬3:-/t\!きい為店け~t百ゅ合勺熊那野智牛どの王寺滝宝号と印二8

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