テキスト1985
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阻んじんモてつみぜKむさぼしるしアンスリュlムも以前のような真赤なセルロイドの造花のようなものは姿をひそめ、色彩が随分豊富になってきた。作例に使ったアンスリュlムは、一番上が深紅色、次が’円、三番目は濃い紅色に白い斑が絞り校械のように入った珍しい色、下の方二枚は、「日本の伝統色」という色名表でしらべてみると人参色というのに近いやわらかな色彩である。とりあわせたヒロハザミアの方は裏がややオリーブ色がかった枯葉色で三色のアンスリュlムとあわせてみるとしっくりと落者きのある配色である。ヒロハザミアは左へ流した一本に対し、右前に向けて葉のよくつまった重量感のある一枝で’樹党上のバランスをととのえている。水際は茎の線を見苦しく交差させないよう注意すること。又花器は配色が複雑にならないよう白と黒だけの花瓶を使ってみた。ヒロハザミアは蘇鉄の仲間で、中央アメリカ、メキシコ陀産し葉柄の長さは1メートル、一枚の葉は日セシチほどに成長する。花屋にたまに出ているが乾燥させたものは葉が落ちやすいので注意して扱いたい。花材アンスリュ11ム4色ヒロハザミア首部黒紬、胴白糊花瓶アンスリュ!ムできるのではないだろうか。そんな乙とを自覚する年令までは良い乙とでも悪いことでも何でもいいから、そして浅くてもいいから幅広くかき集めておく乙とである。その過程で案外感受性が磨かれるものである。ね眠む気りを催しそうな難解な本を読みきっても徒労に終ったとしか思えないだろう。下らぬことに手を山して感じる失敗の痛み、それらは必要のないことかもしれない。だが人は身銭をきって物を買ってこそはじめて身につくのである。いい加減ため乙んだら今度はそれを使いたい。しんどい想いをして集めたものを一つ一つ手離して行くとき、そのときに乙そ人生というものの深みを向覚できるようになるのではないだろうか。ものをかきあつめるのは或程度までの年令にしたい。老年に至って貧るのはもの悲しい所業であり、若さに対抗し、若さを装おうとするのはそれまでに得た貴重なものに気什かぬ愚かな老境ではないのだろうか。老境K至って若年の時代に得たものを少しずつ手附す、それは静かな知慧であり円熟に近付きつつあるという兆であろう。日本の諸芸には、うまくなろうとして若い問から身心ともに修練し、技が身につきどんな難しい表現も自由にこなせるようになったとき、はじめて技巧や才能だけではどうにもふ,It 器4

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