テキスト1985
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いもあらいおぐらろらしんお−ついろちしん夫さんの蓮池で毎年観蓮会が催されている。内田さんと越を通じての交際も随分長くなる。蓮池があり、淀川沿いに楠葉、寝屋川あたりまで次々と京阪電車の窓から見えたものである。蓮の栽培は淀川水系だけでなく、現在の東大阪市近辺の大和川水系にも多かったようで、大蓮とか菱屋という地名も残っている。日本にも蓮は化石時代から原生していたそうだが仏教の伝来と共に遺階使や遣唐使が持ち帰って仏前の供花とされた頃から品種も多くなったようである。したと乙ろからはじまったという説が有名だが、あまりにも仏教と深く結びつきすぎてあまり嬉しくない先入感さえできてしまっている。めのものが多く、観賞のために設けられた蓮池は各地の公園や寺院にしか見られないし品種も少ない。関西で一カ所に沢山の品種が集められ、公開していただけると乙ろは内田さ7AM日@NHKニュースワイド午前5時必分より京都の南、久世郡の一口の内田又昔は京都に巨椋池をはじめ多くのいけ花の発祥は蓮を仏前の供花と現在の蓮池は食用の蓮根を作るたんの蓮池ぐらいのものだろう。京都、大阪K蓮池は少なくなったが近頃蓮池が多く見られるのは徳島県である。これは純農産物で池の持主に充分な諒解もなく池に入ったり切ったりすると大目玉をくらう。食用の蓮根は明治初年に中国からチャンパスが輸入された頃から飛躍的に生産が拡大されたそうである。蓮の花の美しさと池の水の清澄さは詩情をさそうが、水爵伝の一節に魯智深が肉屋に豚の脂身を細かく切って十斤、赤身も細かく切って十斤と面倒な注文をつけ蓮の葉に包ませるくだりがある。肉屋は悪い奴なので魯智深にそのあと死ぬほど投りとばされてしまうのだが何故か私は蓮の大葉を見るとそれを想い出す。昨年王維の蓮の詩を紹介したが、李太白の「採蓮曲」もいい。日照ニ新故一本底明風瓢ニ香挟一空中畢三三五五映一垂楊一紫騎噺入ニ落花一去見レ此蜘踊空断腸丁寧に訳したいととろだが紙数が足りないので各自漢和辞典を横においてお読みいただきたい。辿はあでやかに美しい。その美しさを短い時間でどれほど私が視聴者に伝えられるか考えている。若耶渓傍採蓮女笑隔一一荷花一共ν人語シテヲニガル岸上誰家遊治郎テテヲニトルガノゾ回透y−,一捕1衰茨(さるとりいばら〉合(すかしゅの花器焼締深鉢11

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