テキスト1985
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かすみ黄花海芋卜コ桔綬花器乳白色ガラス鉢乳白色のガラス器に黄花海芋とトルコ桔梗の濃紫色と淡紫色の三色のとりあわせでいけてみた。きつい配色なのでそれを中和させるようなおだやかな花器を選ぶべきだろうが、かえって乙の色の対比をきわ立たせるような白いガラス器の方がさつばりしてよかったらしい。花器によってとりあわせの感じを強めたりぼかしたりするのも技巧の一っとして大切なことである。主回棚の整理をしていたら父に生花を習いはじめた頃の古い記録がでてきた。まず第一回自にはアマリリスを教えてもらっている。自分で心覚えのための絵も摘叶ているがどう見ても生花とは言えないようである。見越、真、控を小さくなどと書きいれているが何の乙とやら見ていておかしくなってくる。二回目は朝日葉閥、三回目は霞草とガーベラとその葉。ついで踊っつい蹴ν、菊、竹島百合と進み、七回目が葉蘭十一枚となっている。八回目は葉蘭十三枚をいけさせられているが少しわかりはじめたと乙ろらしい。十一枚に内副、胴の沈みの二枚を加え、全体の花型をほっそりと、五枚の花型よりはみ出さぬよはじめての稽古うに注意されている。その頃から葉商の稽古が主になったのを想い出す。そして習った生花の写生だけでなく、色々な生花の伝書の中の代表的な花型の模写も始めている。乙れが大変よかったらしい。他流の花型と自分の流儀の花型の違いを知るととによって教えられる乙との意味もはっきり理解しはじめたようである。習った花の絵もだんだん生花らしくなりその年の九月に葉蘭五枚から十三枚までを墨で丁寧に、自分にもよくわかるように描いているが、とれなど稽古の記録画として父に大変ほめてもらった記憶がある。はじめての稽古では私は何を教えてもらったのかさっぱりわからず、家に帰ってから切りきざまれた花を前にして官く考えあぐねていたのである。はじめから上手な人がいる訳がないのはわかっていても下手なのは情ないものである。私の体験からいえる乙とは最初の二、三カ月は毎週必ず稽古場に顔を出すだけでいい。六カ月目ぐらいからようやく稽古しているという実感がわいてくるのである。そして多少上手になったかなと思う頃にはいけ花に対する目が肥えてきて又もや自分の下手さにあきれるのである。そのくり返しが私達が生きて行く上で本当に大切な乙とのように思う。ノレ10

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