テキスト1985
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ひつじ古代エジプトを代表する花は睡すい蓮れんだそうである。今から五千年ほど昔の壁画にも度々登場している。宴会ではすべての客に睡蓮がくばられ、五王朝(B・C二五OO年頃)のペル・ネブの墓に睡蓮の膏の花梗を三インチぐらいに切ったものを容器にいれた壁画、ベニいけた花瓶には花を挿す口が三ケ所ついていたという。おそらくいけられた花の記録としては最古のものだろう。それをいけ花の原初的なものとして見るなら人聞がはじめていけた花は睡蓮だったと言っていいのかもしれない。睡蓮のうち日本で野生するものはひ未つじ草ぐ吉だけであるが命名の理由は未の刻|現在の午後二時ーに咲き夕方閉じるからである。私達が普通手にいれられる睡蓮は温帯性睡蓮で乙れらは早朝から咲きはじめ昼頃閉じてしまう。花が開いたり閉じたりする期間は三日か四日しかないのでいい加減に採集されたものを買うと花が開かずじまいでしおれてしまうことがある。それでも大きな水盤に澄んだ水をなみなみとたたえ花の聞くのを楽しみにいけたくなるものである。睡蓮の生花のいけ方は一昨年の八月号に詳しく図解しているので読み返していただくとして、乙乙では水陸の株分け挿しを簡単に説明しておく。水草と陸草を一つの水盤にいけあわせるのを水陸いけといっている。水草を前方花、陸草を後方に位置付けて、陸草の株もとに石を置いて陸と水面の区別をつけるのが原則である。最近置き石を省略する乙とが多くなったが心得として知っておくべき事柄である。主いけるζとは禁じられている代りK株分けにしもそのとりあわせを楽しむ乙とになる。乙の生花の親株の薄と京鹿の子は胞のものをとっていけたものである。・ハサンの墓に睡蓮を生花では水草と陸草を一株第8

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