テキスト1985
79/144

すすきつれつれぐさひまわりらそれを喜ぶように咲きほこっているのを見るとその力強さに惹かれ美しさを感じる。そういえば女の人達も暑さを楽しむように強い色のプリント模様の服装で街を歩き、夏パテしないようにとスタミナのある料理も必要とする。真夏のいけ花には涼感を求めるだけでなく時には強靭な生命力の表現もあっていいと思う。このような考え方を頭にいれたうえで、暑さを忘れて、ほっとするような気分の花をいけるポイントをあげてみよう。常識の域を山ないζとだが基調になる花の色は淡色がよい。笹百合のような淡いピンク、淡紫、淡い水色、白等の花のうちから季節感のある花をえらぶのは当然な乙とだが、そ乙にとりあわせられる花材や花器によって趣が変ってくる。主材となる淡色の花に対して、小輸の浪色の花を色彩の分量にして三分の一か四分の一程度まじえてやる乙とがまず第一。例えば笹百令の開花三輸に対して桔梗二輪が加わると笹百合の淡紅色がくっきりと浮かびあがる。副材とすべき濃色の花が多くなると涼感を表現する乙とはできなくもないが大変いけにくくなる。次に必要なのは緑の葉である。枝物なら葉の小さい軽やかな深山南天、よくしまった本夏櫨や満う天だ星ん、雪柳の青葉等花屋ですぐ手に入るものでよいから葉をよくすかして風通ほんはぜどンステラの大葉のようにしっかりし盤の方が使いやすそうである。ただけるのには水盤よりも小さな黒い花の寵、荒い編み目の黒竹の寵も投入変らないが量を少なくいける。さ、枝葉の聞をそよ風の通るような演出効果を高めるものである。箇条書にすればしのよさそうな感じに形をととのえてのびのびとそえる。葉物をそえるにしても同じように軽やかな薄の青葉、太ふと蘭い、羊し歯だ類がいいだろう。モたものはさけた方が無難である。花器は赤、黄、撞色等の暖色系のものより、白、水色、黒、紺を主体にした陶器やガラス器、涼しさの効果をあげるのに向いている。とくに白地に藍絵の染付の水盤はとのような傾向のいけ花がぴったりとおさまる。乙乙で水盤がよいかという乙とを考えてみると、水盤の利点は水際を広々と使うことができるので風通しがよさそうに見える。次に水が見えるので涼しさを演出するのに都合がょいという訳で夏場は花瓶より水し夏の山草をあっさりした感じにい瓶等がよさそうである。或いは向竹の部類に入るがとりあわせの傾向は暑さの中での心のやすらぐいけ花ではまず求められるのは色調の淡泊いけ方、そ乙に水が加わり、花器が山花の色は淡色を主体に、濃色を少量そえる問花の色と共に花器の色をえらぷ問緑の葉を風通しよく使う凶水の効果を充分知っておくことその上でよく片付いた部屋の適当な場所に飾られることがのぞましい。以上はごく初歩的な条件であって、花とのかかわりが深まり、自分の世界の広がりができてくるとその人ならではという美しい人の心に通う花がいけられるようになるのである。はじめに夏のいけ花として涼しさを求めるだけでなく、夏を枢歌するようなものもあるべきだと述べておいたが、後者の方がむずかしそうである。春や秋の美しさはいけ花でも表現しやすい。又冬の静けさをいける乙とにも多くの方法を知っている。夏のいけ花といえば涼しげに:・:・。それは暑熱をはなれた山路や渓聞のひんやりしたたたずまいを市中の家の中にもち乙むという乙とで、互の向然の一部でしかない。瓦の美しさとはどこに求められるべきものなのであろうか。私はその強い日光が夏の美しさの根源にあると思っている。強い日光のため一年中で最も明るい。明るすぎて地上のものは目が舷みそうである。青い空、白い雲、俄かにかき曇って夕立が降る。時には雷をともなった大雨が道を川のように流れる。一方私達の暮らし方は昔とくらべて大きく変化している。徒然草に普かれているような軒の深い風通しのよい広々とした敷地に建つ夏向きの家は少なくなり、密集地で排気ガスが入り乙まないよう窓をしめて暮らしている。そのため冷房が普及し視覚で涼感を求める代りに」垣内の温度を機械で下げてしまう。涼しげで自繋味の溢れたいけ花が宙に浮いてしまうような生活である。悪く号一そうい.つζとなのだが、良く言えば食欲を減退させるような夏の気温から解放されたのである。だから乙そ夏のスポーツも盛んになり暑さを求めて戸外にとび出して行くのである。軒が深くうす暗い室内でわずかな風を頼りにできるだけ汗をかかないよう静かに一日すごしているようでは生活も成りたたない。現代の快適な室内に必要なのは外に山て夏と立ち向かっていきいきと動きまわる気分をひき出すような活力のあるいけ花が必要なのである。それは多分向日葵に象徴されるような力強い自然であろう。色彩は強い日光を一杯にあびた黄色や赤の原色の大きな花がその主題となる。清涼感を表現するいけ花で用いるのとは反対の色彩であるが、だからといって先に箇条書きにしたのを全部ひっくり返して考えればよいのかというとそうではない。原色の花は割合使いKくいものである。しっかりした考えもなく何色もとりあわせるとただ暑苦しさだけしか感じられない。照りつける大地に力強く立っているものの姿にはシンプルな麗々しきを感じる。そこK夏の自然があると考えたい。夏そのものの美しさなのである。このように考えれば暑さを快くうけいれたいけ花はどうあるべきかと自分なりのとりあわせ、花型を楽しく想像することができるだろ度々向日葵を例に出して恐縮だが、三本ほどを黒い深鉢花立てたとする。これに何をとりあわせればいいだろう。色をやや乙しくさせないよう白い花がほしい。自のアンスリユ|ムはどうだろう。表面がピカピカ光っていて強い日光を向日葵に照りかえしそうである。向日葵はそれでも平気で立ち続けているに違いない。水際には熱帯性の観葉植物の小葉が二、三枚あれば良い。決して原色を盛り沢山花いけζむ必要はないのである。夏を力強く生きる花は多い。その上熱帯植物も数多く輸入され、栽培されたものが夏には花屋の店に溢れている。その中からよく水のあがった生きのよいものを、先にのべた注意をおもいだしながらえらんで、明るくたくましい花をいけてみたいものである。以上真夏のいけ花について二面の傾向を書いてみたが、涼風を感じさせるようないけ方については従来書きつくされている。だが照りつける太陽の下での自然の美しさはあまり語られていない。今後そんないけ花が多くなるのが楽しみである。,っ。5

元のページ  ../index.html#79

このブックを見る