テキスト1985
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グリーンカラー紫陽花花器チーク材盛器剣吋ん山ざん花挿すと切口がくだけやすいのグリーンカラl(茎も花も緑の海芋)も此頃沢山出まわりはじめたので値段も下がり時々稽古にも使えるようになってきた。今年の二月号のテキストにも雪柳、アンスリュlムをとりあわせて使っているが季節には影響されず栽培されているようである。花の一部が白くてきわやかな感じがするので作例のように淡い色の紫陽花をとりあわせれば夏向きのいけ花としてみずみずしい。花器はチlク材の丸彫りの果物でも盛りつけておく器らしいが丈夫にできているので水をいれでも割れたりしない。このような器が大量に輸入されて方々で売られているが、材質や加工方法に難がありそうなものは中におとしをいれて使えばよい。グリーンカラlは白花の海芋より大型なのでのびのびした長いものをで少し短くいけている。大作に大きく多量に使う場合には一本一本叩センチ位の支柱をそえて立てる。日本が原産地である紫陽花は私達に身近な夏の花としていけ花によく用いられるが残念ながら水揚げがあまりよくない。作例のようなとりあわせの場合葉を少なくし、短くいけて水をあげやすくする乙と。紫陽花を長く使うような花型はさけた方がよー。あわあじインドや東南アジアから友人のデザイナーが私の書斉にやってきて、いけ花の本の頁をくりながら「乙れなら僕にもできる、これはできない」とつぶやいている。何ができるのか、できないのか面白そうなので横で見ていると彼ができないといっているいけ花は大体自然調なもののようである。彼等は木、紙、金属、プラスチックスのような無形のものから一つの形を造り出すのにはなれているが、植物を自然のままのような状態で利用しそ乙に静かな作いや優しい潤いを感じさせる乙とは自分の仕事とはかけはなれすぎているそうである。デザインの仕事と絵や彫刻とは自由に往来するととができるし、いけ花でもオブジェ調のものなら手も出せるが、自然調ないけ花だけは世界が違うそうである。私自身も色々な仕事を経てきた上でいけ花の一一純独得な美しさにひかれて花道家となった一人だが、近代的な芸術思想はそれほど理解し難いものだとは感じた乙とはないが、矛盾に満ち、論理性を欠くように見えるいけ花の伝書の方が難解である。だがその一見あやふやな伝業によっていけられた花の見事さには敬服せざるを得ない。私がいけ花をする動機もそ乙にあり、又離れられない理由もそ乙にある。グラフィックデザイナーと、いけ花3

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