テキスト1985
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しもつりそうあいしようしやりいそうかきょっかみやまなんてん京医E江じチ、ゾレ馴染みの深い花、馴染みの浅い花。花の歴史の上で馴染みの深いものはそれがたとえ外来種のものであっても和花とみなされ、馴染みの浅い外来種の花は洋花とよばれている。日本人は豊かすぎる花にか乙まれて暮らしてきたせいか、花をただ色形の華やかさだけにとらわれず、その花と共に暮らしてきた想いを大切にする。だから花をいけようと、とりあわせを考える時花同志が語りあいのできる場を作ろうとする。洋花はおそらく和花同志の会話の輸の中に入れない花だと感じているのではなかろうか。乙の作例では笹百合と京鹿の子(下野草の一純)という和種の花に洋種のスタlチスをそえ、フランス産のライトブラウンのガラス花器にいけあわせてみた。温和な配色で花同志の相性もよく乙の花型の中にうまくおさまっている。とういういけ花を一般に色彩挿花とよび、和括判の花ばかり集めて季節の自然を強く印象付ける写景挿花と区別している。その違いをよく知ったト」でどちらかにきめて花器もふくめたとりあわせの配慮が充分に行き届いていないと索直に感心できるいけ花とはならない。桑原市可鹿流では色彩をとくに重要視するが色彩の選択は一つの花型を作り上げる技術以上にむずかしいものである。そ乙をよく心得てとりあわせと探に充分気を使いたい。同じ笹百合を使ったいけ花だがこの頁の上段の作例と表紙の作例の違いは先程の説明でよくわかっていただけると思う。花の名前も知らない人ならどちらのいけ花もただ優しく美しいとだけは感じるだろう。だが花に多少は関心があり、その上日本の自然を考えた乙とのある人ならまず表紙のいけ花に興味を示すに違いない。笹百合、深山南天、あ萎まと荘乙ろは共に日本の山地でよく見かける植物である。笹百合は和歌や俳句、或いは物語りにも登場するのでなじみが深い。それらが一瓶にいけられていれば過去に歩いた山辺の初亙の美しさ、気持のよさを惣いおとしてその時の気分に再度ひたれるだろう。写景挿花とはそのようなものでもある。そう考えてみると写景挿花は室内の装飾以上の意味をもついけ花であるといえる。そしていけ花の根は私達の心の央深いととろから発しているようである。その根から様々な形の肢がのび葉をつけ十日くは立花、生花、盛花となり現代では使いきれない程多数の品砲の花を前にしているが根源がそとにある4K変りない。花材笹宵合深山南天萎褒|あまどころ向竹龍花器〈表紙の花〉子のメ入に1百笹ι花器スモークグラス花器,、A:;_ 2

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