テキスト1985
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あかしろ−っおじゅう私は年中行事を割合大切にする方である。だからテキストにも折にふれて何かと書一き緩っている。人というものは多くのととを関連させてその日その日を心にきざみつけ、自分の生きている証を感じて安心を得ているように思う。季節、信仰||お墓諾り程度の信心だがーーー、家族の誕生日、お祭り、そんなものがからみあってその一年が確かな存在であった乙とを知る。何かそのような折り目がなく一年が過ぎたら私の存抗感も大変唆昧なものになってしまうだろう。年中行事というものは私にとって、それなくしては’H分の存在を主張できない戸籍簿みたいなものらしい。私にだってもっと難しく析学用語など使って人を開に巻く乙ともできる。だがそんな言辞をいくら弄してみたとζろで空中に消えてしまって自分自身の生きている証は件られず一向安心できないのである。暮らしている土地、季節、近所の人々、行事が生きていることの拠り所なのである。ある国際人といわれた人の話をしてみよう。その人は大金持のアメリカ人だったそうだが生まれて間もなく両親とスイスに住み、イギリスで教育を受け、フランスやドイツの大学でも学び、パリ、ローマ、ロンド市だということである。家での新年を演出している。ンの他世界各地に移り住み、周囲の人の理想の世界人となった。多分自身の人生の宗晴らしさにも酔ったことだろう。ところが中年を迎える乙ろ自分には故郷がないことに気付いて博然とし、はかなさを感じはじめたという。何ケ同語も自由花話せても母国語がなく、暮らした土地の風習に染まる乙ともなく、一体向分はど乙の誰だろうと思いつめ、はかなさのあまりζの世から消えてしまったという。豊かな教養、広い知識があり、つきあって気持のよい人だったらしい。又何にもとらわれぬ自由な人でもあっただろう。だが泥共くてもいい。不条理であってもいい。祇凶祭には持を着て行列のお供をし、お盆には仏壇にお経をあげてもらう。近所の八十円屋に挨拶され、向いの御主人と空校械を話しあって相も変らぬ一年が送れる方が人間らしいん一年の行事の初めがお正月である。大晦Hまで忙しかった凶は新年を旅行先で迎えていた。目先の変った土地での新年も悪くはないが、一流のホテルや旅飴でさえ、元日の削に一家に一組の御霊がでる乙とはない。いつものホテルの朝食より一寸ましなだけで京都のお客だからといって白味噌の御雑煮は山してくれない。そんなお正月を迎えていた時期もあったが此頃は皆が協力しあって私とお正月3

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