テキスト1985
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どうだんほんはぜ春に若葉が出はじめてから、晩秋葉の落ちつくすまで他にめぼしい枝物がないような時仕方なく亙櫨をえらんでしまうというほどありふれた花材である。京都の周辺の山道でもよく見かけるが、形のしっかりした良いものはとりつくされたせいか少なくなっている。もともと大して大きな木ではなくせいぜい二メートルほどにしかならないが老成したものは風雪に耐えた良い盗をしているものである。近頃そのような孟櫨は花屋にもあまり入荷していないようで、葉のしまった本植の校も細いものばかりである。一般にお多福とよばれている葉の大きい夏櫨は若葉の頃は枝先が柔らかで水をさげやすく、その上盗も悪い。形よくいけるには手がかかりすぎるがそれでも大していい花にはならない。作例の本櫨は葉先がよくしまっており、かわいい満天星のような白い花が咲いていて緑色の葉と赤い葉のまじり具什もいい。ただ難点は曲がっていなくてもいい所で曲がっているので水際が揃えにくい。枝先と水際になる部分をよく見きわめながら無理のない校どりを工夫する。枝先の形ばかり見て本際がどうなるかを考えないで切ってしまうと相汁きつく撰めなければならない部分ができてくる。結門川水揚げも悪くなり折角の良い枝先の寿命も半分以下になってしまう。ぷ培されて樹形のととのった枝物ではない山でとってくるような花材は少々形は悪くても自然さをいかす乙とを考えなくてはならない。花材夏櫨花探黒糊花瓶夏櫨(なつはぜ)6

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