テキスト1985
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,/ ん」山u−っ。E−−e 、、’E卜一の作例のように三木、或いは二木の花が花器にぴったりおさまった時は大変気持のよいものである。研古川明では少なくても六本、たまに五本という乙ともあるがそれ以下ということはない。校物一本に草花を二本そえるにしても、枝物は大小三、四木に切り分けて使うので構成はこの作例のように単純ではない。とこちで桁古以外に向分で花を買ってくる場介、二、三本の花でシンプルで気のきいたいけ方をしてみたいと配色、形、そして花器まで想い描いて帰ってくる。乙ういう花がうまくいけられたときには自分自身のいけ花、何年も習い続けてきた乙とに大きな価値を感じるのではないか実際乙ういういけ花は普通の稽古の積み重ねによって生まれるものであって、基本的な花の扱い方が身につき、少しは応用もきくようになってはじめていけられるものである。小品花には基木型はないといってもいい。一本一本の花の特徴がはっきりとクローズアップされ、一枚の葉の使い’方がいけ上がった感じを大きく左右する。その上花器の風合いといけられた花の持味とが一つにとけあってぴったりきまっていなければならない。勿論どんな大きさのいけ花でもそうあるべきで、一葉一枝もふうあアリウム・ギガンチウム鉄線(白)花器トルコブルl細川花瓶口口口ゆるがせにできないが本数が多ければ欠点を補う乙ともそう難しいものではない。小品花のいいものには心をひかれるがそれは花を大切に扱っているという気持が見る人に伝わってくることでもある。どこをどう大切にすればよいのかわかるまでに月日がかかる。でも時々は試してみるような気持でいけてみるといい。自分がどれぐらいの花をいけられるようになったのかをはかる目盛にもなるだろう。ただし小品花におぼれ乙むとよほど注意しなければ無到な花の使い方をする癖がつくことがある。最もよくないのは枝葉を整理しすぎて痩せさらばえた感じ。形は八分にとどめてもいいから花のふくよかさを失わせないことを常に心がけていなくてはならない。乙れについては私自身も型にきびしい生花で何度も失敗を重ねてきている。型を追求する面白さにとらわれて少しでも余計だと思う枝葉をとりつくしていた頃もあった。此頃は反対に少し余分かなという枝葉も残すようにしているので時には厚ぼったくなってしまうこともある。そういう波を乙えながら少しずついい花がいけられるように心掛けているが完成には程遠い道のりである。なお小品花についてもう一っつけ加えておきたいのは、生花の技巧が大変役に立つということである。花2

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