テキスト1985
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私達が普通鉄線というのはクレマチス属の中に含まれる何利かの花を交配させて作り出されたもので、円木原産の風車、桃山時代に中国から渡来した鉄線等他数種がもとになっている。よく鉄線と風車の違いにつふといて質問をャつけるが両方とも純粋種が見られる機会は少ない。最も簡単な違いは鉄線は花弁(花弁状等片)が六枚、風車は八枚という乙とである。交配種の鉄線(クレマチス)は花が大きく花の色数が多くなった。白、紫にも濃淡の段階が豊かで青みがかったもの、赤みの強いもの、それらをまぜあわせていけると鉄線ばかりで華やかな色彩の美しさを求めることができる。鉄線は軽やかにのびのびといけたい花で作例でも左右に長くふり出し前後も深く奥行をとっている。太薗のあっさりした前線が鉄線の爽やかさをひきたてている。花材U鉄線三色(白・ピンク・紫)太蘭花器リ褐色紬尊型花瓶豊かな時代になり、物心両面に余裕ができたので趣味にも手がでるようになったんな時代に一国の文化、芸術も大きな花を咲かせる。私達桑原専慶流の流祖初代冨春軒の生きた元禄時代は徳川政権も安定した豊かな社会であった。だが一体趣味||乙乙では花道、茶道、書道など〈道〉のつくものをとりあげてみるーーは豊かな時代でないと育たないものだろうか。どうもそうではないようである。今五十才以上の方なら憶えておられるだろうと思うが、戦争中のあの何にも不自由した頃には趣味的な乙とのできる人は少なくなっていたには違いないが、それでも花はいけられ、書も忘れられなかった。私の亡くなった叔父も戦地で軍務の合聞に書の稽古は欠かさず私にも時々良い手紙をくれていた。ゆとりのない時代に書、花に心をむけていた人々、それは切迫した世情からはあたえられることのない余裕を自分で作り出し、それによって殺伐とした周囲の情況から人間らしさをとりもどそうとする心だったのではないだろうか。日本で道と名のつくものにはそんな働きがあるように思う。古い言い方なら心を磨くということであるが4亘かさとゆとり4::::・とよく聞く。又そそれは人間らしく生きる一つのきっかけを得る道だったのである。余裕がないからできないというのであればそれは遊びと間違えているからではないだろうか。道と名のつくものには一人で静かにやれるものが多いのもその特徴の一つだろう。道のつく趣味には遊び、娯しみという一面のあることも否定すべきではないが、ただ娯しみのためだけにあるものでない乙とも心得ておいてほしい。豊かさは往々にして余暇を遊びに走らせる。皆さんの周囲の方にいけ花を語るとき乙んなこともつけ加えていただきたい。今年一月初旬アメリカ合衆国政府当局より先代専渓の著作桑原専渓の立花専渓生花百事の二著を購入したいとの照会を,つけたので寄贈したと乙ろ、米国国会図書館東京事務所を通じて同館館長の鄭重な礼状を三月末受けとった。米国国会図書館5

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